人、わけても孤独を寂しむ人、孤独を愛する人によつて、群集こそは心の家郷、愛と慰安の住家である。ボードレエルと共に、私もまた一つのさびしい歌を唄はう。――都会は私の恋人。群集は私の家郷。ああ何処までも、何処までも、都会の空を徘徊《はいかい》しながら、群集と共に歩いて行かう。浪の彼方《かなた》は地平に消える、群集の中を流れて行かう。(『四季』1935年2月号)
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虚無の歌
我れは何物をも喪失せず
また一切を失ひ尽せり。「氷島」
午後の三時。広漠とした広間《ホール》の中で、私はひとり麦酒《ビール》を飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。煖炉《ストーブ》は明るく燃え、扉《ドア》の厚い硝子《ガラス》を通して、晩秋の光が侘《わび》しく射《さ》してた。白いコンクリートの床、所在のない食卓《テーブル》、脚の細い椅子の数数。
ヱビス橋の側《そば》に近く、此所の侘しいビヤホールに来て、私は何を待つてるのだらう? 恋人でもなく、熱情でもなく、希望でもなく、好運でもない。私はかつて年が若く、一切のものを欲情した。そして今既に老いて疲れ、一切のものを喪失した。私は孤独の椅子を探して、都会の街街《まちまち》を放浪して来た。そして最後に、自分の求めてるものを知つた。一杯の冷たい麦酒《ビール》と、雲を見てゐる自由の時間! 昔の日から今日の日まで、私の求めたものはそれだけだつた。
かつて私は、精神のことを考へてゐた。夢みる一つの意志。モラルの体熱。考へる葦《あし》のをののき。無限への思慕。エロスへの切ない祈祷《いのり》。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の失はれた追憶[#「失はれた追憶」に二重丸傍点]だつた。かつて私は、肉体のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不断にそれの解体を強ひるところの、無機物に対して抗争しながら、悲壮に悩んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。肉体!ああそれも私に遠く、過去の追憶にならうとしてゐる。私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、蟾蜍《ひきがえる》とが、地下で私を待つてるのだ。
ホールの庭には桐《きり》の木が生《は》え、落葉が地面に散ら
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