。次第に彼は放蕩《ほうとう》に身を持ちくずし、とうとう壮士芝居の一座に這入《はい》った。田舎廻りの舞台の上で、彼は玄武門の勇士を演じ、自分で原田重吉に扮装《ふんそう》した。見物の人々は、彼の下手《へた》カスの芸を見ないで、実物の原田重吉が、実物の自分に扮して芝居をし、日清戦争の幕に出るのを面白がった。だがその芝居は、重吉の経験した戦争ではなく、その頃|錦絵《にしきえ》に描いて売り出していた「原田重吉玄武門破りの図」をそっくり演じた。その方がずっと派手で勇ましく、重吉を十倍も強い勇士に仕立てた。田舎小屋の舞台の上で重吉は縦横無尽に暴《あば》れ廻り、ただ一人で三十人もの支那兵を斬《き》り殺した。どこでも見物は熱狂し、割れるように喝采《かっさい》した。そして舞台の支那兵たちに、蜜柑《みかん》や南京豆《ナンキンまめ》の皮を投げつけた。可憫そうなチャンチャン坊主は、故意に道化《おど》けて見物の投げた豆を拾い、猿芝居のように食ったりした。それがまた可笑《おか》しく、一層チャンチャン坊主の憐《あわ》れを増し、見物人を悦《よろこ》ばせた。だが心ある人々は、重吉のために悲しみ、眉《まゆ》をひそめて嘆息した。金鵄勲章功七級、玄武門の勇士ともあろう者が、壮士役者に身をもち崩《くず》して、この有様は何事だろう。
 次第に重吉は荒《すさ》んで行った。賭博《ばくち》をして、とうとう金鵄勲章を取りあげられた。それから人力俥夫《じんりきしゃふ》になり、馬丁になり、しまいにルンペンにまで零落した。浅草公園の隅《すみ》のベンチが、老いて零落した彼にとっての、平和な楽しい休息所だった。或る麗《うら》らかな天気の日に、秋の高い青空を眺めながら、遠い昔の夢を思い出した。その夢の記憶の中で、彼は支那人と賭博《ばくち》をしていた。支那人はみんな兵隊だった。どれも辮髪を背中にたれ、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、長い煙管《キセル》を口にくわえて、悲しそうな顔をしながら、地上に円《まる》くうずくまっていた。戦争の気配もないのに、大砲の音が遠くで聴《きこ》え、城壁の周囲《まわり》に立てた支那の旗が、青や赤の総《ふさ》をびらびらさせて、青竜刀の列と一所に、無限に沢山連なっていた。どこからともなく、空の日影がさして来て、宇宙が恐ろしくひっそり[#「ひっそり」に傍点]していた。
 長い、長い時間の間、重吉は支那兵と賭博をしていた。黙って、何も言わず、無言に地べたに坐りこんで……。それからまた、ずっと長い時間がたった……。目が醒《さ》めた時、重吉はまだベンチにいた。そして朦朧《もうろう》とした頭脳《あたま》の中で、過去の記憶を探そうとし、一生懸命に努めて見た。だが老いて既に耄碌《もうろく》し、その上|酒精《アルコール》中毒にかかった頭脳は、もはや記憶への把持《はじ》を失い、やつれたルンペンの肩の上で、空《むな》しく漂泊《さまよ》うばかりであった。遠い昔に、自分は日清戦争に行き、何かのちょっとした、ほんの詰らない手柄をした――と彼は思った。だがその手柄が何であったか、戦場がどこであったか、いくら考えても思い出せず、記憶がついそこまで来ながら、朦朧として消えてしまう。
「あア!」
 と彼は力なく欠伸《あくび》をした。そして悲しく、投げ出すように呟《つぶや》いた。
「そんな昔のことなんか、どうだって好《い》いや!」
 それからまた眠りに落ち、公園のベンチの上でそのまま永久に死んでしまった。丁度昔、彼が玄武門で戦争したり、夢の中で賭博をしたりした、憐れな、見すぼらしい日傭人《ひようとり》の支那傭兵と同じように、そっくりの様子をして。



底本:「猫町 他十七篇」岩波書店、岩波文庫
   1995(平成7)年5月16日第1刷発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集」筑摩書房
   1976(昭和51)年
入力:大野晋
校正:鈴木厚司
2001年10月11日公開
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