ず、子供たちの住む世界は共通してゐる。白人の子供も黒人の子供も、すべての人間の子供は、本來フアンタスチツクな夢の宮殿に住んでゐるのだ。彼等の知つてる世界は、大人の知る「現實」の世界とはちがふのである。大人にとつて荒唐無稽のことは、彼等にとつて皆「眞實」のことなのである。すべての子供たちは、本來「夢」の中で育ち、そして夢を見ることによつて生き、夢を榮養食することによつて自己を生育させてゐるのである。古來、幾多の童話と童話作家が書いたものは、かうした子供の生活のレアリチイを、その自然性のままで表現したものに外ならない。グリムもアンデルセンも、日本の桃太郎やカチカチ山の作者も、すべて皆兒童心理學の大家であり、同時にフアンタスチツクの夢をもつてる詩人であつた。だが彼等の作家が居ない前から、本來子供自身の心の中に、童話が實在してゐたのである。そして童話そのものが、童話作家よりも古く、本質的に實在してゐたといふことは、東西古今を問はず、すべてのお伽話といふものは、元來同じ一つの物にすぎないといふことを證明する。ただその異なるところは、國による風俗傳説の相違、及び時代による趣味嗜好の異別にすぎない。
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