の椅子にさびしくとまつて
その嘴《くちばし》は心臟《こころ》をついばみ 瞳孔《ひとみ》はしづかな涙にあふれる。
夜鳥よ
このせつない戀情はどこからくるか
あなたの憂鬱なる衣裳をぬいで はや夜露の風に飛びされ。
緑色の笛
この黄昏の野原のなかを
耳のながい象たちがぞろりぞろりと歩いてゐる。
黄色い夕月が風にゆらいで
あちこちに帽子のやうな草つぱがひらひらする。
さびしいですか お孃さん!
ここに小さな笛があつて その音色は澄んだ緑です。
やさしく歌口《うたぐち》をお吹きなさい
とうめいなる空にふるへて
あなたの蜃氣樓をよびよせなさい。
思慕のはるかな海の方から
ひとつの幻像《いめぢ》がしだいにちかづいてくるやうだ。
それは首のない猫のやうで 墓場の草影にふらふらする。
いつそこんな悲しい景色の中で 私は死んでしまひたいのよう! お孃さん!
寄生蟹のうた
潮みづのつめたくながれて
貝の齒はいたみに齲ばみ 酢のやうに溶けてしまつた
ああ ここにはもはや友だちもない 戀もない。
渚にぬれて亡靈のやうな草を見てゐる
その草の根はけむりのなかに白くかすんで
春夜のなまぬるい戀びとの吐息のやうです。
おぼろにみえる沖の方から
船人はふしぎな航海の歌をうたつて 拍子も高く楫の音がきこえてくる。
あやしくもここの磯邊にむらがつて
むらむらとうづ高くもりあがり また影のやうに這ひまはる
それは雲のやうなひとつの心像 さびしい寄生蟹《やどかり》の幽
靈ですよ。
かなしい囚人
かれらは青ざめたしやつぽ[#「しやつぽ」に傍点]をかぶり
うすぐらい尻尾《しつぽ》の先を曳きずつて歩きまはる。
そしてみよ そいつの陰鬱なしやべるが泥土《ねばつち》を掘るではないか。
ああ草の根株は掘つくりかへされ
どこもかしこも曇暗な日ざしがかげつてゐる。
なんといふ退屈な人生だらう
ふしぎな葬式のやうに列をつくつて 大きな建物の影へ出這入りする
この幽靈のやうにさびしい影だ。
硝子のぴかぴかするかなしい野外で
どれも青ざめた紙のしやつぽ[#「しやつぽ」に傍点]をかぶり
ぞろぞろと蛇の卵のやうにつながつてくる さびしい囚人の群ではないか。
猫柳
つめたく青ざめた顏のうへに
け高くにほふ優美の月をうかべてゐます。
月のはづかしい面影
やさしい言葉であなたの死骸に話しかける。
ああ 露しげく
しつとりとぬれた猫柳 夜風のなかに動いてゐます。
ここをさまよひきたりて
うれしい情《なさけ》のかずかずを歌ひつくす
そは人の知らないさびしい情慾 さうして情慾です。
ながれるごとき涙にぬれ
私はくちびるに血汐をぬる。
ああ なにといふ戀しさなるぞ
この青ざめた死靈にすがりつきてもてあそぶ
夜風にふかれ
猫柳のかげを暗くさまよふよ そは墓場のやさしい歌ごゑです。
憂鬱な風景
猫のやうに憂鬱な景色である
さびしい風船はまつすぐに昇つてゆき
りんねる[#「りんねる」に傍点]を着た人物がちらちらと居るではないか。
もうとつくにながい間《あひだ》
だれもこんな波止場を思つてみやしない。
さうして荷揚機械のばうぜんとしてゐる海角から
いろいろさまざまな生物意識が消えて行つた。
そのうへ帆船には綿が積まれて
それが沖の方でむくむく[#「むくむく」に傍点]と考へこんでゐるではないか。
なんと言ひやうもない
身の毛もよだち ぞつとするやうな思ひ出ばかりだ。
ああ神よ もうとりかへすすべもない
さうしてこんなむしばんだ囘想から いつも幼な兒のやうに泣いてゐよう。
野鼠
どこに私らの幸福があるのだらう
泥土《でいど》の砂を掘れば掘るほど
悲しみはいよいよふかく湧いてくるではないか。
春は幔幕のかげにゆらゆらとして
遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。
どこに私らの戀人があるのだらう
ばうばうとした野原に立つて口笛をふいてみても
もう永遠に空想の娘らは來やしない。
なみだによごれためるとん[#「めるとん」に傍点]のづぼんをはいて
私は日傭人《ひようとり》のやうに歩いてゐる
ああもう希望もない 名譽もない 未來もない。
さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが
野鼠のやうに走つて行つた。
輪※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]と轉生
地獄の鬼がまはす車のやうに
冬の日はごろごろとさびしくまはつて
輪※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]の小鳥は砂原のかげに死んでしまつた。
ああ こんな陰鬱な季節がつづくあひだ
私は幻の駱駝にのつて
ふらふらとかなしげな旅行にでようとする。
どこにこんな荒寥の地方があるのだらう!
年をとつた乞食の群は
いくたりとなく隊列のあとをすぎさつてゆき
禿鷹の屍肉にむらがるやうに
きたない小蟲が燒地《やけち》の穢土《ゑど》にむらがつてゐる。
なんといふ傷ましい風物だらう!
どこにも首《くび》のながい花が咲いて
それがゆらゆらと動いてゐる。
考へることもない かうして暮れ方《がた》がちかづくのだらう。
戀や孤獨やの一生から
はりあひのない心像も消えてしまつて ほのかに幽靈のやうに見えるばかりだ。
どこを風見の鷄《とり》が見てゐるのか
冬の日のごろごろと※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る瘠地の丘で もろこしの葉つぱが吹かれてゐる。
厭やらしい景物
雨のふる間
眺めは白ぼけて
建物 建物 びたびたにぬれ
さみしい荒廢した田舍をみる。
そこに感情をくさらして
かれらは馬のやうにくらしてゐた。
私は家の壁をめぐり
家の壁に生える苔をみた
かれらの食物は非常にわるく
精神さへも梅雨《つゆ》じみて居る。
雨のながくふる間
私は退屈な田舍にゐて
退屈な自然に漂泊してゐる
薄ちやけた幽靈のやうな影をみた。
私は貧乏を見たのです
このびたびたする雨氣の中に
ずつくり濡れたる 孤獨の 非常に厭やらしいものを見たのです。
さびしい來歴
むくむくと肥えふとつて
白くくびれてるふしぎな球形《まり》の幻像《いめいぢ》よ。
それは耳もない 顏もない つるつるとして空にのぼる野蔦のやうだ
夏雲よ なんたるとりとめのない寂しさだらう!
どこにこれといふ信仰もなく たよりに思ふ戀人もありはしない。
わたしは駱駝のやうによろめきながら
椰子の實の日にやけた核を噛みくだいた。
ああ こんな乞食みたいな生活から
もうなにもかもなくしてしまつた。
たうとう風の死んでる野道へきて
もろこしの葉うらにからびてしまつた。
なんといふさびしい自分の來歴だらう。
沿海地方
馬や駱駝のあちこちする
光線のわびしい沿海地方にまぎれてきた。
交易をする市場はないし
どこで毛布《けつと》を賣りつけることもできはしない。
店鋪もなく
さびしい天幕《てんまく》が砂地の上にならんでゐる。
どうしてこんな時刻を通行しよう!
土人のおそろしい兇器のやうに
いろいろな呪文がそこらいつぱい[#「いつぱい」に傍点]にかかつてしまつた
景色はもうろうとして暗くなるし
へんてこなる砂風《すなかぜ》がぐるぐるとうづをまいてる。
どこにぶらさげた招牌《かんばん》があるではなし
交易をしてどうなるといふあてもありはしない。
いつそぐだらくにつかれきつて
白砂の上にながながとあふむきに倒れてゐよう。
さうして色の黒い娘たちと
あてもない情熱の戀でもさがしに行かう。
大砲を撃つ
わたしはびらびらした外套をきて
草むらの中から大砲を曳きだしてゐる。
なにを撃たうといふでもない
わたしのはらわた[#「はらわた」に傍点]のなかに火藥をつめ
ひきがへるのやうにむつくり[#「むつくり」に傍点]とふくれてゐよう。
さうしてほら貝みたいな瞳《め》だまをひらき
まつ青な顏をして
かうばうたる海や陸地をながめてゐるのさ。
この邊の奴らにつきあひもなく
どうせろくでもない 貝肉の化物ぐらゐに見えるだらうよ。
のらくら息子のわたしの部屋には
春さきののどかな光もささず
陰鬱な寢床のなかにごろごろ[#「ごろごろ」に傍点]とねころんでゐる。
わたしを罵りわらふ世間のこゑこゑ
だれひとりきて慰さめてくれるものもなく
やさしい婦人《をんな》のうたごゑもきこえはしない。
それゆゑわたしの瞳《め》玉はますますひらいて
へんにとうめい[#「とうめい」に傍点]なる硝子玉になつてしまつた。
なにを喰べようといふでもない
妄想のはらわたに火藥をつめこみ
さびしい野原に古ぼけた大砲を曳きずりだして
どおぼん! どおぼん! とうつてゐようよ。
海豹
わたしは遠い田舍の方から
海豹《あざらし》のやうに來たものです。
わたしの國では麥が實り
田畑《たはた》がいちめんにつながつてゐる。
どこをほつつき歩いたところで
猫の子いつぴき居るのでない。
ひようひようといふ風にふかれて
野山で口笛を吹いてる私だ
なんたる哀せつの生活だらう。
※[#「木+無」、第3水準1−86−12]《ぶな》や楡《にれ》の木にも別れをつげ
それから毛布《けつと》に荷物をくるんで
わたしはぼんやりと出かけてきた。
うすく櫻の花の咲くころ
都會の白つぽい道路の上を
わたしの人力車が走つて行く。
さうしてパノラマ館の塔の上には
ぺんぺんとする小旗を掲げ
圓頂塔《どうむ》や煙突の屋根をこえて
さうめいに晴れた青空をみた。
ああ 人生はどこを向いても
いちめんに麥のながれるやうで
遠く田舍のさびしさがつづいてゐる。
どこにもこれといふ仕事がなく
つかれた無職者《むしよくもの》のひもじさから
きたない公園のベンチに坐つて
わたしは海豹《あざらし》のやうに嘆息した。
猫の死骸
ula と呼べる女に
海綿のやうな景色のなかで
しつとりと水氣にふくらんでゐる。
どこにも人畜のすがたは見えず
へんにかなしげなる水車が泣いてゐるやうす。
さうして朦朧とした柳のかげから
やさしい待びとのすがたが見えるよ。
うすい肩かけにからだをつつみ
びれいな瓦斯體の衣裳をひきずり
しづかに心靈のやうにさまよつてゐる。
ああ浦 さびしい女!
「あなた いつも遲いのねえ。」
ぼくらは過去もない 未來もない
さうして現實のものから消えてしまつた…………
浦!
このへんてこに見える景色のなかへ
泥猫の死骸を埋めておやりよ。
沼澤地方
ula と呼べる女に
蛙どものむらがつてゐる
さびしい沼澤地方をめぐりあるいた。
日は空に寒く
どこでもぬかるみがじめじめした道につづいた。
わたしは獸《けだもの》のやうに靴をひきずり
あるいは悲しげなる部落をたづねて
だらしもなく 懶惰《らんだ》のおそろしい夢におぼれた。
ああ 浦!
もうぼくたちの別れをつげよう
あひびきの日の木小屋のほとりで
おまへは恐れにちぢまり 猫の子のやうにふるへてゐた。
あの灰色の空の下で
いつでも時計のやうに鳴つてゐる
浦!
ふしぎなさびしい心臟よ。
ula! ふたたび去りてまた逢ふ時もないのに。
鴉
青や黄色のペンキに塗られて
まづしい出窓がならんでゐる。
むやみにごてごてと屋根を張り出し
道路いちめん 積み重なつたガタ馬車なり。
どこにも人間の屑がむらがり
そいつが空腹の草履《ざうり》をひきずりあるいて
やたらにゴミダメの葱を喰ふではないか。
なんたる絶望の光景だらう!
わたしは魚のやうにつめたくなつて
目からさうめん[#「さうめん」に傍点]の涙をたらし
情慾のみたされない いつでも陰氣な悶えをかんずる
ああこの噛みついてくる蠍《さそり》のやうに
どこをまたどこへと暗愁はのたくり行くか。
みれば兩替店の赤い窓から
病氣のふくれあがつた顏がのぞいて
大きなパイプのやうに叫んでゐた。
「きたない鴉め! あつちへ行け!」
駱駝
さびしい光線のさしてる道を
わたしは駱駝のやうに歩いてゐよう。
すつぱい女どもの愛からのがれて
なにかの職業でもさがしてみよう。
どことも知らない
遠くの交易市場の方へ出かけて行つて
馬具や農具の古ぼけた商賣《あきなひ》でも眺めてゐよう。
前へ
次へ
全6ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング