て日光が遠くにかがやいてゐる
けれども私はこの室内にひとりで坐つて
思ひをはるかなる櫻のはなの下によせ
野山にたはむれる青春の男女によせる
ああ なんといふよろこびが輝やいてゐることか
いちめんに枝をひろげた櫻の花の下で
わかい娘たちは踊ををどる
娘たちの白くみがいた踊の手足
しなやかにおよげる衣裳
ああ そこにもここにも どんなにうつくしい曲線がもつれあつてゐることか
花見のうたごゑは横笛のやうに長閑《のどか》で
かぎりなき憂鬱のひびきをもつてきこえる。
いま私の心は涙でぬぐはれ
閉ぢこめたる窓のほとりに力なくすすり泣く
ああこのひとつのまづしき心は なにものの生命《いのち》をもとめ
なにものの影をみつめて泣いてゐるのか
ただいちめんに酢えくされたる美しい世界のはてで
遠く花見の憂鬱なる横笛のひびきをきく。


 怠惰の暦

いくつかの季節はすぎ
もう憂鬱の櫻も白つぽく腐れてしまつた。
馬車はごろごろと遠くをはしり
海も 田舍も ひつそりとした空氣の中に眠つてゐる。
なんといふ怠惰な日だらう
運命はあとからあとからとかげつてゆき
さびしい病鬱は柳の葉かげにけむつてゐる。
もう暦もない
前へ 次へ
全55ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング