は旗のやうなものである。
まづしき展望
まづしき田舍に行きしが
かわける馬秣《まぐさ》を積みたり
雜草の道に生えて
道に蠅のむらがり
くるしき埃のにほひを感ず。
ひねもす疲れて畔《あぜ》に居しに
君はきやしやなる洋傘《かさ》の先もて
死にたる蛙を畔に指せり。
げにけふの思ひは惱みに暗く
そはおもたく沼地に渇きて苦痛なり
いづこに空虚のみつべきありや
風なき野道に遊戲をすてよ
われらの生活は失踪せり。
農夫
海牛のやうな農夫よ
田舍の家根には草が生え、夕餉《ゆふげ》の烟ほの白く空にただよふ。
耕作を忘れたか肥つた農夫よ
田舍に飢饉は迫り 冬の農家の荒壁は凍つてしまつた。
さうして洋燈《らんぷ》のうす暗い廚子のかげで
先祖の死靈がさむしげにふるへてゐる。
このあはれな野獸のやうに
ふしぎな宿命の恐怖に憑《つ》かれたものども
その胃袋は野菜でみたされ くもつた神經に暈《かさ》がかかる。
冬の寒ざらしの貧しい田舍で
愚鈍な 海牛のやうな農夫よ。
波止場の烟
野鼠は畠にかくれ
矢車草は散り散りになつてしまつた
歌も 酒も 戀も 月も もはやこの季節のものでない
わたしは老いさらばつた鴉のやうに
よぼよぼとして遠國の旅に出かけて行かう
さうして乞食どものうろうろする
どこかの遠い港の波止場で
海草の焚けてる空のけむりでも眺めてゐよう
ああ まぼろしの乙女もなく
しをれた花束のやうな運命になつてしまつた
砂地にまみれ
礫利食《じやりくひ》がにのやうにひくい音《ね》で泣いて居よう。
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松葉に光る 詩集後篇
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この章に集めた詩は、「月に吠える」の前半にある「天上縊死」「竹と哀傷」等の作と同時代のもので、私の詩風としては極めて初期のものに屬する。すべて「月に吠える」前派の傾向と見られたい。但し内八篇は同じ詩集から再録した。
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狼
見よ
來る
遠くよりして疾行するものは銀の狼
その毛には電光を植ゑ
いちねん牙を研ぎ
遠くよりしも疾行す。
ああ狼のきたるにより
われはいたく怖れかなしむ
われはわれの肉身の裂かれ鋼鐵《はがね》となる薄暮をおそる
きけ淺草寺《せんさうじ》の鐘いんいんと鳴りやまず
そぞろにわれは畜生の肢體をおそる
怖れつねにかくるるにより
なんぴとも素足をみず
されば都にわれの過ぎ來し方を知らず
かくしもおとろへしけふの姿にも
狼は飢ゑ牙をとぎて來れるなり。
ああわれはおそれかなしむ
まことに混閙の都にありて
すさまじき金屬の
疾行する狼の跫音《あのと》をおそる。
松葉に光る
燃えあがる
燃えあがる
あるみにうむ[#「あるみにうむ」に傍点]のもえあがる
雪ふるなべにもえあがる
松葉に光る
縊死の屍體のもえあがる
いみじき炎もえあがる。
輝やける手
おくつきの砂より
けちえんの手くびは光る
かがやく白きらうまちずむ[#「らうまちずむ」に傍点]の屍蝋の手
指くされども
らうらんと光り哀しむ。
ああ故郷にあればいのち青ざめ
手にも秋くさの香華おとろへ
青らみ肢體に螢を點じ
ひねもす墓石にいたみ感ず。
みよ おくつきに銀のてぶくろ
かがやき指はひらかれ
石英の腐りたる
われが烈しき感傷に
けちえんの、らうまちずむの手は光る。
酢えたる菊
その菊は酢え
その菊はいたみしたたる
あはれあれ霜月はじめ
わがぷらちなの手はしなへ
するどく指をとがらして
菊をつまんとねがふより
その菊をばつむことなかれとて
かがやく天の一方に
菊は病み
酢えたる菊はいたみたる。
悲しい月夜
ぬすつと犬めが
くさつた波止場の月に吠えてゐる
たましひが耳をすますと
陰氣くさい聲をして
黄色い娘たちが合唱してゐる
合唱してゐる
波止場のくらい石垣で。
いつも
なぜおれはこれなんだ
犬よ
青白いふしあはせの犬よ。
かなしい薄暮
かなしい薄暮になれば
勞働者にて東京市中が滿員なり
それらの憔悴した帽子のかげが
市街《まち》中いちめんにひろがり
あつちの市區でもこつちの市區でも
堅い地面を掘つくりかへす
掘り出して見るならば
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ
重さ五匁ほどもある
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ
それも本所深川あたりの遠方からはじめ
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで
しなびきつた心臟がしやべる[#「しやべる」に傍点]を光らす。
天路巡歴
おれはかんがへる
おれの長い歴史から
なにをして來たか
なにを學問したか
なにを見て來たか。
いつさいは祕密だ
だがなんて青い顏をした奴らだ
おれの腕にぶらさがつて
蛇のやうにつるんでゐた奴らだ
おれは決して忘れない
おれの長い歴史から
あいつらは
死よりも恐ろしい祕密だ。
おれはかんがへる
そのときまるであいつらの眼が
おれの手くびにくつついてゐたことを
おれの胴體に
のぞきめがねを仕掛けた奴らだ
おれをひつぱたく
おれの力は
馬車馬のやうにひつぱたく。
そしてだんだんと
おれは天路を巡歴した
異樣な話だが
おれはじつさい 獨身者《ひとりみ》であつた。
龜
林あり
沼あり
蒼天あり
ひとの手には重みをかんじ
しづかに純金の龜ねむる
この光る
さびしき自然のいたみにたへ
ひとの心靈《こころ》にまさぐりしづむ
龜は蒼天のふかみにしづむ。
白夜
夜霜まぢかくしのびきて
跫音《あのと》をぬすむ寒空《さむぞら》に
微光のうすものすぎさる感じ
ひそめるものら
遠見の柳をめぐり出でしが
ひたひたと出でしが
見よ 手に銀の兇器は冴え
闇に冴え
あきらかにしもかざされぬ
そのものの額《ひたひ》の上にかざされぬ。
巣
竹の節はほそくなりゆき
竹の根はほそくなりゆき
竹の纖毛は地下にのびゆき
錐のごとくなりゆき
絹絲のごとくかすれゆき
けぶりのやうに消えさりゆき。
ああ髮の毛もみだれみだれし
暗い土壤に罪びとは
懺悔の巣をぞかけそめし。
懺悔
あるみにうむの薄き紙片に
すべての言葉はしるされたり
ゆきぐもる空のかなたに罪びとひとり
ひねもす齒がみなし
いまはやいのち凍らんとするぞかし。
ま冬を光る松が枝に
懺悔のひとの姿あり。
夜の酒場
夜の酒場の
暗緑の壁に
穴がある。
かなしい聖母の額《がく》
額の裏《うら》に
穴がある。
ちつぽけな
黄金蟲のやうな
祕密の
魔術のぼたんだ。
眼《め》をあてて
そこから覗く
遠くの異樣な世界は
妙なわけだが
だれも知らない。
よしんば
醉つぱらつても
青白い妖怪の酒盃《さかづき》は、
「未知」を語らない。
夜の酒場の壁に
穴がある。
月夜
へんてこの月夜の晩に
ゆがんだ建築の夢と
醉つぱらひの圓筒帽子《しるくはつと》。
見えない兇賊
兩手に兇器
ふくめんの兇賊
往來にのさばりかへつて
木の葉のやうに
ふるへてゐる奴。
いつしよけんめいでみつめてゐる
みつめてゐるなにものかを
だがかはいさうに
奴め 背後《うしろ》に氣がつかない、
背後には未知の犯罪
もうもうとしてゐる黒の板塀。
夜目にも光る
白銀《しろがね》の服を着こんだ奴
この奇體な
それでゐて
みたものもない片目の兇賊。
有害なる動物
犬のごときものは吠えることにより
鵞鳥のごときものは畸形兒なることにより
狐のごときものは夜間に於て發光することにより
龜のごときものは凝晶することにより
狼のごときものは疾行することによりてさらに甚だしく
すべて此等のものは人身の健康に有害なり。
さびしい人格
さびしい人格が私の友を呼ぶ
わが見知らぬ友よ早くきたれ
ここの古い椅子に腰をかけて二人でしづかに話してゐよう
なにも悲しむことなく君と私でしづかな幸福な日を暮さう
遠い公園のしづかな噴水の音をきいてゐよう
しづかに しづかに 二人でかうして抱きあつてゐよう。
母にも父にも兄弟にも遠くはなれて
母にも父にも知らない孤兒の心をむすびあはさう
ありとあらゆる人間の生活の中で
おまへと私だけの生活について話しあはう
まづしいたよりない二人だけの祕密の生活について
ああその言葉は秋の落葉のやうにさうさうとして膝の上にも散つてくるではないか。
わたしの胸はかよわい病氣した幼な兒の胸のやうだ
わたしの心は恐れにふるへるせつないせつない熱情のうるみに燃えるやうだ。
ああいつかも私は高い山の上へ登つて行つた
けはしい坂路をあふぎながら蟲けらのやうにあこがれて登つて行つた
山の絶頂に立つたとき蟲けらはさびしい涙をながした。
あふげばばうばうたる草むらの山頂で大きな白つぽい雲がながれてゐた。
自然はどこでも私を苦しくする
そして人情は私を陰鬱にする
むしろ私はにぎやかな都會の公園を歩きつかれて
とある寂しい木蔭の椅子を見つけるのが好きだ。
ぼんやりした心で空を見てゐるのが好きだ
ああ都會の空を遠く悲しげにながれてゆく煤煙
またその都會の屋根をこえてはるかにちひさく燕の飛んで行く姿をみるのが好きだ。
よにもさびしい私の人格が
おほきな聲で見知らぬ友を呼んでゐる
わたしの卑屈で不思議な人格が
鴉のやうなみすぼらしい樣子をして
人氣のない冬枯れの椅子の片隅にふるへて居る。
戀を戀する人
わたしはくちびるにべにをぬつて
あたらしい白樺の幹に接吻した。
よしんば私が美男であらうとも
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいの匂ひがしない
わたしはしなびきつた薄命男だ
ああなんといふいぢらしい男だ
けふのかぐはしい初夏の野原で
きらきらする木立の中で
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた
腰にはこるせつと[#「こるせつと」に傍点]のやうなものをはめてみた
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた
かうしてひつそりとしな[#「しな」に傍点]をつくりながら
わたしは娘たちのするやうに
こころもちくびをかしげて
あたらしい白樺の幹に接吻した。
くちびるにばらいろのべにをぬつて
まつしろの高い樹木にすがりついた。
贈物にそへて
兵隊どもの列の中には
性分のわるいものが居たので
たぶん標的の圖星をはづした
銃殺された男が
夢のなかで息をふきかへしたときに
空にはさみしいなみだがながれてゐた。
『これはさういふ種類の煙草です』
遊泳
浮びいづるごとくにも
その泳ぎ手はさ青なり
みなみをむき
なみなみのながれははしる。
岬をめぐるみづのうへ
みな泳ぎ手はならびゆく。
ならびてすすむ水のうへ
みなみをむき
沖合にあるもいつさいに
祈るがごとく浪をきる。
瞳孔のある海邊
地上に聖者あゆませたまふ
烈日のもと聖者海邊にきたればよする浪浪
浪浪砂をとぎさるうへを
聖者ひたひたと歩行したまふ。
おん脚白く濡らし
怒りはげしきにたへざれば
足なやみひとり海邊をわたらせたまふ。
見よ 烈日の丘に燃ゆる瞳孔あり
おん手に魚あれども泳がせたまはず
聖者めんめんと涙をたれ
はてしなき砂金の道を踏み行きたまふ。
空に光る
わが哀傷のはげしき日
するどく齲齒《むしば》を拔きたるに
この齲齒は昇天し
たちまち高原の上にうかびいで
ひねもす怒りに輝やけり。
みよくもり日の空にあり
わが瞳《め》にいたき
とき金色《こんじき》のちさき蟲
中空に光りくるめけり。
緑蔭倶樂部
都のみどりば瞳《ひとみ》にいたく
緑蔭倶樂部の行樂は
ちまたに銀をはしらしむ
五月はじめの朝まだき
街樹の下に竝びたる
わがともがらの一列は
はまきたばこの魔醉より
襟脚きよき娘らをいだきしむ。
緑蔭倶樂部の行樂の
その背廣はいちやうにうす青く
みよや都のひとびとは
手に手に白き皿を捧げもち
しづしづとはや遠近《をちこち》を行きかへり
緑蔭倶樂部の會長の
遠き畫廊を渡り行くとき。
榛名富士
その絶頂《いただき》を光らしめ
とがれる松を光らしめ
峰に粉雪けぶる日も
松に花鳥をつけ
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