みず
されば都にわれの過ぎ來し方を知らず
かくしもおとろへしけふの姿にも
狼は飢ゑ牙をとぎて來れるなり。
ああわれはおそれかなしむ
まことに混閙の都にありて
すさまじき金屬の
疾行する狼の跫音《あのと》をおそる。


 松葉に光る

燃えあがる
燃えあがる
あるみにうむ[#「あるみにうむ」に傍点]のもえあがる
雪ふるなべにもえあがる
松葉に光る
縊死の屍體のもえあがる
いみじき炎もえあがる。


 輝やける手

おくつきの砂より
けちえんの手くびは光る
かがやく白きらうまちずむ[#「らうまちずむ」に傍点]の屍蝋の手
指くされども
らうらんと光り哀しむ。

ああ故郷にあればいのち青ざめ
手にも秋くさの香華おとろへ
青らみ肢體に螢を點じ
ひねもす墓石にいたみ感ず。

みよ おくつきに銀のてぶくろ
かがやき指はひらかれ
石英の腐りたる
われが烈しき感傷に
けちえんの、らうまちずむの手は光る。


 酢えたる菊

その菊は酢え
その菊はいたみしたたる
あはれあれ霜月はじめ
わがぷらちなの手はしなへ
するどく指をとがらして
菊をつまんとねがふより
その菊をばつむことなかれとて
かがやく天の一方に
菊は病み
酢えたる菊はいたみたる。


 悲しい月夜

ぬすつと犬めが
くさつた波止場の月に吠えてゐる
たましひが耳をすますと
陰氣くさい聲をして
黄色い娘たちが合唱してゐる
合唱してゐる
波止場のくらい石垣で。

いつも
なぜおれはこれなんだ
犬よ
青白いふしあはせの犬よ。


 かなしい薄暮

かなしい薄暮になれば
勞働者にて東京市中が滿員なり
それらの憔悴した帽子のかげが
市街《まち》中いちめんにひろがり
あつちの市區でもこつちの市區でも
堅い地面を掘つくりかへす
掘り出して見るならば
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ
重さ五匁ほどもある
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ
それも本所深川あたりの遠方からはじめ
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで
しなびきつた心臟がしやべる[#「しやべる」に傍点]を光らす。


 天路巡歴

おれはかんがへる
おれの長い歴史から
なにをして來たか
なにを學問したか
なにを見て來たか。

いつさいは祕密だ
だがなんて青い顏をした奴らだ
おれの腕にぶらさがつて
蛇のやうにつるんでゐた奴らだ
おれは決して忘れない
おれの長い歴史から

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