不潔な女をひやかしたりするやうな、全然田舎風の空気をもつた浴場であつて、周囲の新鮮な自然と全く不調和であるからである。
 併し、田舎風の温泉でなくとも、塩原のやうな所はまた嫌ひである。ああした種類の風景は、もはや時代遅れの趣味に属するもので、近代の若い人には感興がない。どこか南画くさい、古い趣味の美文めいたあの辺の景色は、今日ではむしろ俗である。それにあすこの福和戸《ふくわと》のやうながらんどう[#「がらんどう」に傍点]の温泉、普通の駅路の両側に家が並んだやうな温泉は、どこか埃くさい気がするのと、まとまり[#「まとまり」に傍点]のない不安な気がするので、とても落付いた気分になれない。温泉はやはり山の峡谷のやうな所に、そこだけで一廓をなしてゐなければいけない。その他まだ嫌ひな温泉の種類をあげればたくさんある。伊豆の伊東のやうな、海岸の温泉も嫌ひのものの一つである。すべて海岸の温泉には、温泉らしい情趣がすくない。普通の田舎町らしい――漁師町らしい――気分と、温泉町らしい特異の気分とが不調和に混同して、妙に落付きの悪い安価の印象をあたへる。それに場所も平地であるから、雲霧とか山霧とかいふ温泉
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