ば中産階級の温良な良家の娘をみるやうに、どこか親しみのある線の柔らかい自然である。特別に好いといふでもないが、さうかと言つても悪い気もしない。若い新趣味の人には食ひ足らず、古い老人には漢詩的風情がなさすぎる所から、一般に伊香保の愛顧者は温健な婦人に多い。私が伊香保を常識的だと言つたのは、先づかういつた意味である。
 併し、女性的とはいへ、山の温泉であるから、樹木が多く、雲や霧がふだんに立ちこめて、山巒《さんらん》といふ感じは充分にある。鶯や駒鳥はいつも鳴いてゐるし、樹陰の深い緑は所々にあるし、それだけで山間の別天地をなした鮮新な温泉町としてゐる。前に言つたやうな特別の注文さへなければ、だれも閑雅な好い感じをもつことができる温泉である。設備の点からいつても、決して人を不快にするやうな者ぢやない。勿論、箱根あたりとくらべれば、全体に田舎めいてゐるが、併しそれも、悪い意味での田舎くさい感じはあたへない。千明《ちぎら》とか木暮《こぐれ》といふ一流の旅館なら、相当にゆつたりした寝起をすることができる。
 私は可成所々――所々といつても東京附近だが――の温泉を歩いたが、未だこれといふやうな温泉には
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