辯もそれの附加を許さない。
※[#蛇の目、1−3−27]
かつて詩集「月に吠える」の序に書いた通り、詩は私にとつての神祕でもなく信仰でもない。また況んや「生命がけの仕事」であつたり、「神聖なる精進の道」でもない。詩はただ私への「悲しき慰安」にすぎない。
生活の沼地に鳴く青鷺の聲であり、月夜の葦に暗くささやく風の音である。
※[#蛇の目、1−3−27]
詩はいつも時流の先導に立つて、來るべき世紀の感情を最も鋭敏に觸知するものである。されば詩集の眞の評價は、すくなくとも出版後五年、十年を經て決せらるべきである。五年、十年の後、はじめて一般の俗衆は、詩の今現に居る位地に追ひつくであらう。即ち詩は、發表することのいよいよ早くして、理解されることのいよいよ遲きを普通とする。かの流行の思潮を追つて、一時の淺薄なる好尚に適合する如きは、我等詩人の卑しみて能はないことである。
詩が常に俗衆を眼下に見くだし、時代の空氣に高く超越して、もつとも高潔清廉の氣風を尊ぶのは、それの本質に於て全く自然である。
※[#蛇の目、1−3−27]
詩を作ること久し
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