でる
かくれた萬象の密語をきき
見えない生き物の動作をかんじた。

僕等は電光の森かげから
夕闇のくる地平の方から
烟の淡じろい影のやうで
しだいにちかづく巨像をおぼえた
なにかの妖しい相貌《すがた》に見える
魔物の迫れる恐れをかんじた。

おとなの知らない希有《けう》の言葉で
自然は僕等をおびやかした
僕等は葦のやうにふるへながら
さびしい曠野に泣きさけんだ。
「お母ああさん! お母ああさん!」
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艶めける靈魂
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 艶めける靈魂

そよげる
やはらかい草の影から
花やかに いきいきと目をさましてくる情慾
燃えあがるやうに
たのしく
うれしく
こころ春めく春の感情。

つかれた生涯《らいふ》のあぢない晝にも
孤獨の暗い部屋の中にも
しぜんとやはらかく そよげる窓の光はきたる
いきほひたかぶる機能の昂進
そは世に艶めけるおもひのかぎりだ
勇氣にあふれる希望のすべてだ。

ああこのわかやげる思ひこそは
春日にとける雪のやうだ
やさしく芽ぐみ
しぜんに感ずるぬくみのやうだ
たのしく
うれしく
こころときめく性の躍動。

とざせる思想の底を割つて
しづかにながれるいのちをかんずる
あまりに憂鬱のなやみふかい沼の底から
わづかに水のぬくめるやうに
さしぐみ
はぢらひ
ためらひきたれる春をかんずる。


 花やかなる情緒

深夜のしづかな野道のほとりで
さびしい電燈が光つてゐる
さびしい風が吹きながれる
このあたりの山には樹木が多く
楢《なら》、檜《ひのき》、山毛欅《ぶな》、樫《かし》、欅《けやき》の類
枝葉もしげく鬱蒼とこもつてゐる。

そこやかしこの暗い森から
また遙かなる山山の麓の方から
さびしい弧燈をめあてとして
むらがりつどへる蛾をみる。
蝗《いなご》のおそろしい群のやうに
光にうづまき くるめき 押しあひ死にあふ小蟲の群團。

人里はなれた山の奧にも
夜ふけてかがやく弧燈をゆめむ。
さびしい花やかな情緒をゆめむ。
さびしい花やかな燈火《あかり》の奧に
ふしぎな性の悶えをかんじて
重たい翼《つばさ》をばたばたさせる
かすてら[#「かすてら」に傍点]のやうな蛾をみる
あはれな 孤獨の あこがれきつたいのちをみる。

いのちは光をさして飛びかひ
光の周圍にむらがり死ぬ
ああこの賑はしく 艶めかしげなる春夜の動靜
露つぽい空氣の中で
花やかな弧燈は眠り 燈火はあたりの自然にながれてゐる。
ながれてゐる哀傷の夢の影のふかいところで
私はときがたい神祕をおもふ
萬有の 生命の 本能の 孤獨なる
永遠に永遠に孤獨なる 情緒のあまりに花やかなる。


 片戀

市街を遠くはなれて行つて
僕等は山頂の草に坐つた
空に風景はふきながされ
ぎぼし ゆきしだ わらびの類
ほそくさよさよと草地に生えてる。

君よ辨當をひらき
はやくその卵を割つてください。
私の食慾は光にかつゑ
あなたの白い指にまつはる
果物の皮の甘味にこがれる。

君よ なぜ早く籠をひらいて
鷄肉の 腸詰の 砂糖煮の 乾酪《はむ》のご馳走をくれないのか
ぼくは飢ゑ
ぼくの情慾は身をもだえる。

君よ
君よ
疲れて草に投げ出してゐる
むつちりとした手足のあたり
ふらんねるをきた胸のあたり
ぼくの愛着は熱奮して 高潮して
ああこの苦しさ 壓迫にはたへられない。

高原の草に坐つて
あなたはなにを眺めてゐるのか
あなたの思ひは風にながれ
はるかの市街は空にうかべる
ああ ぼくのみひとり焦燥して
この青青とした草原の上
かなしい願望に身をもだえる。


 夢

あかるい屏風のかげにすわつて
あなたのしづかな寢息をきく。
香爐のかなしいけむりのやうに
そこはかとたちまよふ
女性のやさしい匂ひをかんずる。
かみの毛ながきあなたのそばに
睡魔のしぜんな言葉をきく
あなたはふかい眠りにおち
わたしはあなたの夢をかんがふ
このふしぎなる情緒
影なきふかい想ひはどこへ行くのか。

薄暮のほの白いうれひのやうに
はるかに幽かな湖水をながめ
はるばるさみしい麓をたどつて
見しらぬ遠見の山の峠に
あなたはひとり道にまよふ 道にまよふ。

ああ なににあこがれもとめて
あなたはいづこへ行かうとするか
いづこへ いづこへ 行かうとするか
あなたの感傷は夢魔に饐えて
白菊の花のくさつたやうに
ほのかに神祕なにほひをたたふ。
         (とりとめもない夢の氣分とその抒情)


 春宵

嫋《なま》めかしくも媚ある風情を
しつとりとした襦袢につつむ
くびれたごむ[#「ごむ」に傍点]の 跳ねかへす若い肉體《からだ》を
こんなに近く抱いてるうれしさ
あなたの胸は鼓動にたかまり
その手足は肌にふれ
ほのかにつめたく やさしい感觸の匂ひをつたふ。

ああこの溶けてゆく春夜の灯かげに
厚くしつ
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