んなものが何になる!」
ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戰で重傷を負つたネルソンが、軍醫や部下の幕僚たちに圍まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖國に對する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷大將やの人人が、おそらくはまた死の床で、靜かに過去を懷想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。
「余は、余の爲すべきすべてを盡した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に滿足して死んで行つた。
それ故に諺は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや善しと。だが我我の側の地球に於ては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと惱み深く言ひ換へられる。
――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!
主よ。休息をあたへ給へ!
行く所に用ゐられず、飢ゑた獸のやうに零落して、支那の曠野を漂泊して居た孔子が、或る時河のほとりに立つて言つた。
「行くものはかくの如きか。晝夜をわかたず。」
流れる水の悲しさは、休息が無いといふことである。夜《よる》、萬象が沈默し、人も、鳥も、木も、草も、すべてが深い眠りに
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