第4水準2−12−11、309−12]り逢ふかも解らない仇敵《かたき》を探して、あてもなく國國を彷徨《さまよ》ひ歩き、偶然の奇蹟を祈りながら、生涯を疲勞の旅に死んでしまふ。
昔のしをらしい娘たちは、かうした悲しい物語を、我が身の上にひき比《くら》べ、行燈の暗い灯影で讀み耽つた。同じやうにまた、今日《けふ》の新時代の娘たちが、活動寫眞や劇場の座席の隅で、ひそかに未來の良人を空想しながら、二十世紀の草双紙を讀み耽つて居る。その新しい草双紙で、ヴアレンチノや林長二郎のやうな美男が扮する、架空の人物を現實の夢にたづねて、いぢらしくも處女《をとめ》の胸をときめかして居る。そして目算もなく、計畫もなく、偶然の※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11、310−8]合のみを祈りながら、追剥の出る街道や、辻堂や笹原のある景色の中を、悲しく寂しげに漂泊して居る。昔の物語の作者たちは、さうした悲しい數數の旅行の後で、それでも、漸く最後に取つて置きの籤《くじ》をひかせて、首尾よく願望を成就させた。だが若し、現實の人生がさうでなければ! そもそも如何に。女のいぢらしさは無限である。
父
父は永遠に悲壯である。
敵
敵は常に哄笑してゐる。さうでもなければ、何者の表象が怒らせるのか?
物質の感情
機械人間にもし感情があるとすれば? 無限の哀傷のほかの何者でもない。
物體
私がもし物體であらうとも、神は再度朗らかに笑ひはしない。ああ、琴の音が聽えて來る。――小さな一つの倫理《モラル》が、喪失してしまつたのだ。
自殺の恐ろしさ
自殺そのものは恐ろしくない。自殺に就いて考へるのは、死の刹那の苦痛でなくして、死の決行された瞬時に於ける、取り返しのつかない悔恨である。今、高層建築の五階の窓から、自分は正に飛び下りようと用意して居る。遺書も既に書き、一切の準備は終つた。さあ! 目を閉ぢて、飛べ! そして自分は飛びおりた。最後の足が、遂に窓を離れて、身體が空中に投げ出された。
だがその時、足が窓から離れた一瞬時、不意に別の思想が浮び、電光のやうに閃めいた。その時始めて、自分ははつきり[#「はつきり」に傍点]と生活の意義を知つたのである。何たる愚事ぞ。決して、決して、自分は死を選ぶべきでなかつた。世界は明るく、前途は希望に輝やいて居る。斷じて自分は死にたくない。死にたくない。だがしかし、足は既に窓から離れ、身體は一直線に落下して居る。地下には固い鋪石。白いコンクリート。血に塗れた頭蓋骨! 避けられない決定!
この幻想の恐ろしさから、私はいつも白布のやうに蒼ざめてしまふ。何物も、何物も、決してこれより恐ろしい空想はない。しかもこんな事實が、實際に有り得ないといふことは無いだらう。既に死んでしまつた自殺者等が、再度もし生きて口を利いたら、おそらくこの實驗を語るであらう。彼等はすべて、墓場の中で悔恨してゐる幽靈である。百度も考へて恐ろしく、私は夢の中でさへ戰慄する。
龍
龍は帝王の欲望を象徴してゐる。權力の祥雲に乘つて居ながら、常に憤ほろしい恚怒に燃え、不斷の爭鬪のために牙をむいてる。
時計を見る狂人
或る瘋癲病院の部屋の中で、終日椅子の上に坐り、爲すこともなく、毎日時計の指針を凝視して居る男が居た。おそらく世界中で、最も退屈な、「時」を持て餘して居る人間が此處に居る、と私は思つた。ところが反對であり、院長は次のやうに話してくれた。この不幸な人は、人生を不斷の活動と考へて居るのです。それで一瞬の生も無駄にせず、貴重な時間を浪費すまいと考へ、ああして毎日、時計をみつめて居るのです。何か話しかけてご覽なさい。屹度腹立たしげに呶鳴るでせう。「默れ! いま貴重な一秒時が過ぎ去つて行く。Time is life! Time is life!」と。
群集の中に居て
群集は孤獨者の家郷である。 ボードレエル
都會生活の自由さは、人と人との間に、何の煩瑣な交渉もなく、その上にまた人人が、都會を背景にするところの、樂しい群集を形づくつて居ることである。
晝頃になつて、私は町のレストラントに坐つて居た。店は賑やかに混雜して、どの卓にも客が溢れて居た。若い夫婦づれや、學生の一組や、子供をつれた母親やが、あちこちの卓に坐つて、彼等自身の家庭のことや、生活のことやを話して居た。それらの話は、他の人人と關係がなく、大勢の中に混つて、彼等だけの仕切られた會話であつた。そして他の人人は、同じ卓に向き合つて坐りながら、隣人の會話とは關係なく、夫夫また自分等だけの世界に屬する、勝手な仕切られた話をしやべつて居た。
この都會の風景は、いつも無限に私の心を樂しませる。そこでは人人が、他人の領域と交渉なく、しか
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