破れた。
 一人の旅行者――ヘルメツト帽を被り、白い洋服をきた人間が、この光景を何所かで見て居た。彼は一言の口も利かず、默つて砂丘の上に生えてる、椰子の木の方へ歩いて行つた。その椰子の木には、ずつと前から、長い時間の風雨に曝され、一枚の古い木札が釘づけてあつた。

(貸家アリ。瓦斯、水道付。日當リヨシ。)

 ヘルメツトを被つた男は、默つてその木札をはがし、ポケツトに入れ、すたすたと歩きながら、地平線の方へ消えてしまつた。


 この手に限るよ

 目が醒めてから考へれば、實に馬鹿馬鹿しくつまらぬことが、夢の中では勿體らしく、さも重大の眞理や發見のやうに思はれるのである。私はかつて夢の中で、數人の友だちと一緒に、町の或る小綺麗な喫茶店に入つた。そこの給仕女に一人の悧發さうな顏をした、たいそう愛くるしい少女が居た。どうにかして、皆はそのメツチエンと懇意になり、自分に手なづけようと焦燥した。そこで私が、一つのすばらしいことを思ひついた。少女の見て居る前で、私は角砂糖の一つを壺から出した。それから充分に落着いて、さも勿體らしく、意味ありげの手付をして、それを紅茶の中へそつと落した。
 熱い煮えたつた紅茶の中で、見る見る砂糖は解けて行つた。そして小さな細かい氣泡が、茶碗の表面に浮びあがり、やがて周圍の邊《へり》に寄り集つた。その時私はまた一つの角砂糖を壺から出した。そして前と同じやうに、氣取つた勿體らしい手付をしながら、そつと茶碗へ落し込んだ。(その時私は、いかに自分の手際が鮮やかで、巴里の伊達者がやる以上に、スマートで上品な擧動に適つたかを、自分で意識して得意でゐた。)茶碗の底から、再度また氣泡が浮び上つた。そして暫らく、眞中にかたまり合つて踊りながら、さつと別れて茶碗の邊《へり》に吸ひついて行つた。それは丁度、よく訓練された團體遊戲《マスゲーム》が、號令によつて、行動するやうに見えた。
「どうだ。すばらしいだらう!」
 と私が言つた。
「まあ。素敵ね!」
 と、じつと見て居たその少女が、感嘆おく能はざる調子で言つた。
「これ、本當の藝術だわ。まあ素敵ね。貴方。何て名前の方なの?」
 そして私の顏を見詰め、絶對無上の尊敬と愛慕をこめて、その長い睫毛をしばだたいた。是非また來てくれと懇望した。私にしばしば逢つて、いろいろ話が聞きたいからとも言つた。
 私はすつかり得意になつ
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