性格とは、常に「燃焼する」ところのものであり、高度の文化的教養の中にあつても、本質には自然人的な野生や素朴をもつものなのに、芥川氏の性格中には、その燃焼性や素朴性が殆んど全くなかつたからだ。そこで彼が自ら「詩人」と称したことは、知性人のインテリゼンスに於てのみ、詩人の高邁な幻影を見たからだつた。それは必ずしも彼の錯覚ではなかつた。だがそれにもかかはらず、彼の宿命的な悲劇であつた。
 室生犀星氏は、性格的にも、芥川氏の対照に立つ文学者である。彼は知性の人でなくして感性の人であり、江戸ツ子的神経の都会人でなくして、粗野に逞しい精神をもつた自然人であり、不断に燃焼するパツシヨンによつて、主観の強い意志に生きてる行動人である。そこで室生犀星氏は、生れながらに天稟の詩人として出発した。しかし後に小説家となり、その方の創作に専念するやうになつてからは、彼のポエヂイの主生命が、悉く皆散文の形式の中に盛り込まれて、次第に詩文学から遠ざかるやうになつてしまつた。彼は今でも、時に尚思ひ出したやうに詩を書いてる。しかし彼が自ら言ふ通り、今の彼が詩を書く気持は、昔のやうに張り切つたものではなくつて、飽食の後に
前へ 次へ
全8ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング