に哀しみの瞳《ひとみ》をあげて合唱しあなや合讚したてまつる。

 さんたくるす
 さんたくるす

 遊樂至上のうみのうへ、岬をめぐる浪のうたかた、浪とほれば鳥禽の眼にも見えず、況んや白日の幽靈は、いと遙かなる地平にかげをけちゆくごとし。

 ああ、まぼろしのかもめどり、渚はとほく砂丘はさんらん、十字の上に耶蘇はさんらん、女《をみな》の胴は砂金に研がれ、その陰部もさんらん、光り光りてあきらかに眞珠をはらむ。

 白日のもと、わが肉體は遊樂し、沒落し、浮びかつ浪を切る。


 秋日歸郷
       ―妹にあたふる言葉―

秋は鉛筆削のうららかな旋囘に暮れてゆく。いたいけな女心はするどくした炭素の心《しん》の觸覺に、つめたいくちびるの觸覺にも涙をながす。
しみじみと涙をながす。とき子よ、君さへ青い洋紙のうへに魚を泳がしむるの秋だ。眞に秋だ。
ああ、春夏とほくすぎて兄は放縱無頼、酒狂して街にあざわらはれ、おんあい至上のおんちちははに裏切り、その財寶《たから》を盜むものである。
おん身がにくしんの兄はあまりに憔悴し、疾患し、酒亂のあしたに菊を摘まむとして敬虔無上の涙せきあへぬ痴漢である。
また兇盜である、聖者である。妹よ、兄の肉身は曾て一度も汝の額に觸れたことはない。
見よ、兄の手は何故にかくもかくも清らに傷ましげに光つて居るのか、
この手は菊を摘むの手だ、
この手は怖るべき感電性疾患の手だ、
また涼しくも洋銀の柄にはしり、銀の FORK をしてしなやかに皿の魚を舞はしむる風月賀宴の手だ。
兄は合掌する。
兄は接吻する。
兄は淫慾のゆふべより飛散し散亂し、しかも哀しき肉身交歡の形見をだにもとめない頽廢徳者だ。
おん身の兄はおん身を愛することによりて、おん身に一ダースの鉛筆と一《ひと》かけの半襟を買ふことにすら、尚かぎりなき愛惜の涙を、われとわれの眞實至聖の詩篇に流さんとする者である。
兄は東京駒込追分の坂路に夕日を浴びて汝に水桃を捧げんとする。
想ふ、かつて内國勸業博覽會の建物は紙製の樓塔に似た一廓をなし、飛行機のプロペラその上に鳴る。
兄は哀しくなる、妹よ、都にあれば、しんに兄は哀しくなる。

すべては過去である、そして現在である。
遠ければ遠いほど、兄の眞實は深くなり、兄の感傷はたかぶる。
妹よ、
黎明に起きて兄の生きた墓前に詣でてくれ。み寺に行く路は遠くとも、必ずともに素足にて徒歩《かち》まうでかし。なんぢの白いあなうらもつめたい土壤と接觸するときに、兄の戀魚はまあたらしい墓石の下によろこびの目をさます。その兄のめざめを感じ、おまへの素足に痙攣する地下電流の銅線をふんでわたれ。きけ、遠い遠い靈感の墓場で兄の精靈がおまへを呼んで居る。
妹よ、
み寺に行く途は遠くとも朝のちよこれいと[#「ちよこれいと」に傍点]の興奮を忘れるな。
妹よ、
凝念敬具。
おんみが菊をさげて歩むの路を清淨にせよ。
ああ、秋だ、
秋だ、
兄の手をして血縁《けちえん》の墓石にかがやかしむるの秋だ。
妹よ、
兄が純金の墓石の前に、菊を捧げて爾が立つたとき、兄はほんたう[#「ほんたう」に傍点]におん身に接吻する。おん身のにくしんに、額に、脣に、乳房に、接吻する。
妹よ、
いまこそなんぢに告ぐ、
われらいかに相愛してさへあるに、兄の手は、足は、くちびるは、かつて一度もなんぢの肉身に觸れたことさへないのである。
とき子よ、
兄は哀しくなる、しんに兄は哀しくなる。

めいりいごうらうんど、靈性木馬のうへのさんちまんたりずむ[#「さんちまんたりずむ」に傍点]をきみは知るか。
木馬はまはる、
光はまはる、
兄の肉體は疾風のやうに旋囘する、
兄の左に少女がじつと立つて居る、
白い前かけをした娘だ、
娘のくちびるが、あかいくちびるが、林檎が、しだいに、あざやかに、私のくちびるを追ひかける。
めいりいごうらうんど、
木馬がまはる、
世界がまはる、
光がまはる、
この※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]る、むらさきの矢がすりの狂氣した色の世界に娘は立つて居る。
さうして、また、くちびると、くちびると。
秋だ、
兄の肉身はかうして靈感の天界へ失踪する、
はなればなれのくちびるとくちびると、
木馬は都會を越え群集を越え雜鬧を越え、いつさいを越えて液體空氣の圈中にほろび行くまで、
おんみよ、
異性のりずむ[#「りずむ」に傍点]とはかうも遠く近く夢みるごとく人の世にうら哀しいものか、
淺草公園秋の夕ぐれ、
めいりいごうらうんど靈性木馬の旋囘、
磨きあげた鋼鐵盤の白熱※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]轉だ、
想へ、切に切にそが上に昏絶せむとする兄の痩せはてた肉身のいたましさを、
兄は畜生にもあらず、
兄は佛身にもあらず、
兄はいんよく極まりなき巷路の無名詩人だ、
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