死を樂しめ、理窟なしに。」
私はかう唄つた。
いま私は求める、生き甲斐もない我が身をして、新らしい土地にかへす所の墓場を。
私は愛する、しめやかな鎭魂樂の響と、冬の日の窓にすがりつく力のない蠅の羽音を。
私は眠る、私は疲れた。
そこには、あまりに空虚な幻象の哲學と、あまりに神經質なる焦心の休息がある。
とりわけ私は退屈した。ああ「退屈」なんといふ恐ろしい言葉だ。君はこの言葉のもつ底氣味の惡い微笑を知るか。あのニイチエを憑き殺した此の幽靈の青ざめた姿を見るか。
「愛」それは今の私に殘された、ただ一つの祈祷である。私の信ずるただ一つのキリスト、ただ一つの神祕である。(「愛」の奇蹟を私に教へた者はドストイエフスキイであつた。若し私があの驚くべき神祕に充ちた書物「カラマゾフの兄弟」を讀まなかつたならば、私は今日救ふべからざるデカダンとなつて居たにちがひない。)
とはいへ、私の求愛の道はあまりに遠く、あまりに陰鬱でしめりがちである。
私の魂は疲れがちで、ともすれば平易な墓場の夢を追ふに慣れ易い。
私に就いて、君が私の思想の頽廢を責めたのはよい。
私もまた、私自身のさうした惡傾向にはたまらない不快を抱いて居るのである。(君も知つて居る通り、私の求めてゐる哲學は、人間としての最も健全なる、最も明るい靈肉合致の宗教である。)
併しながら、若し君が私に就いてその感情生活の僞りなき記録である私の敍情詩を責めるならば、私は私の懺悔を君にかくれてするばかりである。何故ならば、敍情詩は私のためには「感情の告白」であつて「思想の宣傳」ではない。私の祈祷と私の懺悔とはいつも正反對である。(それは私にとつては悲しむべくまた恥づべきことだが。)
いま私の心は光に憧れる、しかも私の感情は闇の中にうごめいて居る。
君よ。私の悲しむべき矛盾を笑つてくれるな。すべてに於て、君は私をよく理解してくれるであらう。
ある女の友に。
私は今の生活に就いては、どういふ言葉で、どうお話したらよいでせう。
あなたは私の詩「夕暮室内にありて靜かにうたへる歌」をご覽でしたか。
ああした詩の表現する心もちこそ、近頃の私の祈祷的な内面生活を語るものです。
一人、薄暮の室内に坐つて冥想に沈む私の心は、あの白い寢臺の上に長く眠つてゐる悲しい人間の姿です。
私の心臟は疲れて、私の胴體は寢臺の上に横はつて居ます。
日暮の光線は硝子窓
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