て来た。(僕の経験によれば、人間は都会に居るほど健康になり、田舎《いなか》にいるほど病弱になる。)そこで最近、再度また新しき勇気を取り直して、過去の思索に於ける全収穫を計算してみた。その結果、遂に思いきって『自由詩の原理』を焼き棄て、全然始めから出発点を新たにし、もっと構想の変った別の著述に取りかかった。即ち僕は、一旦絶望した『詩の原理』の問題を、改めてまた執念深く考え出し、あえて大胆にもその著述にかかったのだ。実にこうした思索の点では、僕は自分の柄にもなく、地獄の悪魔の如き執念深さと、不撓《ふとう》不屈の精神を有している。倒れても倒れても、僕は起きあがって戦ってくる人間だ。だがそうでもなかったら、だれにも「真理」の考察はできないだろう。真理は芸術のようなものでなく、不断の熱心な研究と、不撓不屈の勉強によってのみ、始めて認識され得るものであるから。
 こうして長い経過の結果、今度始めて、漸く僕の多年宿願した著述『詩の原理』が、この九月にアルスから出版されることになった。この書物こそは、僕の十年来の思索に於ける収穫で詩論としての総勘定と言うべきものだ。もとより非力にして無能、才分まずしき僕の著作である故に、赤面なしに大言することはできないけれども、僕としては心血を注いだもので、広く一般の人に読書してもらいたい。近頃、僕は久しい間沈黙して、詩にも論説にも、何等自信ある作品を出さなかったので、今度僕の著述『詩の原理』こそ、詩集『青猫』以来、始めて僕の世に問おうとする著述である。善かれ悪《あ》しかれ、この詩論一巻の価値によって、僕の定評はつきるだろう。何となれば『詩の原理』は単に『詩の原理』であるのみでなく、同時に詩人としての僕の立場と、僕の芸術上の信条とを、世に問うて自ら明らかに示すものであるから。
 僕はこの新しき書物について、自分は尚《なお》多くの書きたいこと、言いたいことを控えている。だが多言は遠慮しよう。ただこの書物が、詩という芸術の真本質を、内容と形式との二部にわたって、能う限り論理的に、合理論によって弁証したものであることだけを、本誌の読者のために告げておこう。特に就中《なかんずく》、反対論者に対して僕は是非この新著を、一応精読されんことを希望する。何となれば『詩の原理』は、前に焼棄した『自由詩の原理』を、その一節自由詩論の中に包括し、大体にわたって論説を尽しているから。
 今度の著述は、従来雑誌に書いたような断片の雑論ではなく、始めから論理を立て、説明の組織をつくり、条理一貫せる体系によって書かれたところの、真の意味の論文である故に、いかなる読者にも明白に理解される。従来人々に誤解され、時に難解視された僕の詩論も、これによって始めて常識に入り易《やす》く、何人にも容易に理解されるであろう。したがって従来のあらゆる誤解――特に自由詩の詩形論に関している――は、この著によって悉《ことごと》く一掃されると信ずる。もし尚この著にして、世に難解視されるようだったら、僕はもはや再度何事をも言わないつもりだ。だが万一にも、そういうことだけは無いと思う。
 とにかく僕の知る限り、従来僕の詩論に対して反対したり、挑戦的態度を見せたりした人の殆ど大部は、思想の根柢《こんてい》の立場に於て、悉く僕を誤解している。前にも既に言う通り、僕は敵を嫌《きら》うものではない。(敵の無いということが、常に却《かえ》って僕を寂しくさえしているのだ。)しかも誤解による無意味の敵は、その煩《わずら》わしさの故にも、馬鹿々々しく、避け得る限り避けたいのである。故に僕の望むところは、僕のすべての読者諸君、特に反対意見を持たれる諸君が、好奇心からでも、是非今度の書物を読んでもらいたいことである。それを一応読まれた上で、もし尚反対の意見があったら、その時こそ遠慮なく、正面から僕に挑戦して来てもらいたい。僕もまたその時こそ堂々と諸君を対手に弁論し、あくまで説の正邪を戦わしてみようと思う。僕は常に「真理」を愛し、議論の「勝敗」の如きを意に介しない。故に諸君の反駁にして僕に優《まさ》れば、いつにても自説を改め、より正理に適《かな》える諸君の門下に帰するであろう。



底本:「詩の原理」新潮文庫、新潮社
   1954(昭和29)年10月30日発行
   1972(昭和47)年3月10日20刷改版
   1975(昭和50)年9月10日27刷
※複数行にかかる波括弧には、けい線素片をあてました。
入力:鈴木修一
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年2月19日作成
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