して一般について言えば、運命の数奇を極《きわ》め、境遇の変化に富んだ人の生涯は詩的であるが、平凡無為に終った人の生涯は散文的だ。
もっと外の例をあげてみよう。飛行機に乗って太平洋を横断したり、或は文明を過去に逆行して、古風な駕籠《かご》に乗って旅行したりするのは詩的であるが、普通の汽車に乗って平凡な旅行をするのは散文的だ。恋愛や、戦争や、犠牲的行為やは詩的であって、結婚や、所帯暮しや、単調な日常生活やはプロゼックだ。すべてに於て、歴史の古い過去のものは詩的であるが、現代的の事物はプロゼックだ。人間も正義や革命やを考えてる時は詩的であるが、借金の言いわけを考えてる時はプロゼックだ。そして一般に、神話的のものほど詩的であって、科学的に実証されたものほどプロゼックだ。
以上吾人は、できるだけ多くの場合について、一般に思惟される「詩的のもの」と「プロゼックのもの」とを対照して来た。だが前にも言った通り、こうした感じ方は人々によってちがうので、甲の人が詩的と感ずるもの、必ずしも乙の人にとっての詩的でない。反対に一方の人が詩と考えるところのものが、一方の人の散文であったりするかも知れない。畢竟
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