ば、人生は現に「あるもの」でなく、正に「あるべきもの」でなければならない。この現実するところの世界は、彼等にとって不満であり、欠点であり、悪と虚偽とに充たされている。実に有るべきところの人生は、決してこんな態《ざま》であってはならない。真に実在さるべきものは、かかる醜悪不快の現実でなく、すべからくそれを超越したところの、他の「観念の世界」になければならぬ。故にこの派の人々にとってみれば、芸術はそれの理念に向って、呼び求めるところの祈祷《きとう》であり、或はこの不満なる現実苦から脱れるための、悲痛な情熱の絶叫である。それは何等「認識のため」の表現でなく、情意の燃焼する「意欲のため」の芸術である。
かく二つの芸術は、初めから人生観の根柢《こんてい》を異にしている。一方の者にとっては、凡《すべ》て現実する世界(あるところのもの)が真であり、美と完全と調和との一切が、それの観照に於て実在される。即ち彼等の主張によれば、実在《レアール》は「現実以外」にあるのでなく、「現実の中に」存在する。(したがって「現実を凝視せよ」という標語が言われる。)ところが一方の人生観では実在《レアール》が「現実の中
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