かも日本にあっては、何よりもこの「浪漫派前派の精神」が必要なのだ。一切の文明と芸術とは、このアルファベットの第一音から、改めて建設されねばならないのだ。
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     『詩の原理』の出版に際して


 誤解ということは、どんな場合にも避けがたいことである。だが僕の詩論のように、一般からひどく誤解され、見当違いの反駁《はんばく》や抗議を受けたのはすくなかろう。ずっと先年来から、僕は旧「日本詩人」及び「近代風景」誌上で、自分の自由詩論を発表して来た。もとより断片のものであり、体系ある論文ではないけれども、自分としては常に一貫して、主旨のあるところを略説したつもりであった。
 ところが僕の自由詩論は、諸方でいろいろな人から反駁と抗議を受けた。今記憶している限りでも、すくなくとも五人の詩人が、公開の紙上で僕の詩論に挑戦《ちょうせん》している。僕は常に注意して、これ等の人の議論を読んでる。にもかかわらず、かつて一度もこれに対し、自ら弁明したことがない。僕の論敵に対する態度は、常に一貫して沈黙――黙殺とは言わない――である。何故だろうか? すべての挑戦者等が、思想の立脚す
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