大概世界的に進出するコスモポリタンであるけれども、これが後に俳句に入ると、純粋に島国的な日本人になってしまう。明治から最近に至るまで、一として文壇に変化がなく、少しく西洋に触れては日本にもどり、無限に同じことを反復しているのは、実にこの一事のためである。日本人がもし「俳句」を捨て「叙事詩」を取らない以上には、永遠に我々は伝統の日本人で、洋服をきた風流人にすぎないだろう。
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今や吾人《ごじん》は、最後の決定的な問題にかかっている。島国日本か? 世界日本か? である。前者だったら言うところはない。万事は今ある通りで好いだろう。だが後者に行こうとするのだったら、もっと旺盛《おうせい》な詩的精神――それは現在《ザイン》しないものを欲情し、所有しないものを憧憬《どうけい》する。――を高調し、**明治維新の溌剌《はつらつ》たる精神を一貫せねばならないのだ。何よりも根本的に、西洋文明そのものの本質を理解するのだ。皮相は学ぶ必要はない。本質に於て、彼の精神するものが何であるかを理解するのだ。それも頭脳で理解するのでなく、感情によって主観的に知り、西洋が持っているものを、日本の中
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