》は、最近の口語自由詩のみに限られている。少し以前にあった文章語の自由詩は、必ずしも同じ系類に属しない。なぜならそれらの文語詩には、すくなくとも朗吟に堪える音律があり、よりきびきびとした、弾力と屈折のある、魅力に富んだ美があったから。すくなくとも文語詩は、自由詩と言い得る程度の有機的音律美を有していた。
此処に於て問題は、文章語と口語との、音律上に於ける特色の比較に移ってくる。そしてこの比較で言えば、すくなくとも音律上で、文章語は遙《はる》かに口語に優《まさ》っている。試みに両者を比較してみよ。口語の「である」に対し、文章語の「なり」が如何《いか》に簡潔できびきびしているか。「私はそう信ずる」と「我れかく信ず」で、どっちの発音に屈折や力が多いか。「そうであろう」と「あらん」との比較で、どっちが音律的に緊張しているか。すべての比較に於て、文章語は弾力に富み、屈折と変化を有し、簡潔できびきびしている。反対に口語は、音律が散文的で、緊張を欠き、重苦しく無変化でぼたぼたしている。両者の音韻に於ける切れ味《あじ》は、すくなくとも鋭利な刃物と鈍刀ぐらいの相違がある。
そもそもこの二つの言語に於
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