や、ぐにゃぐにゃ[#「ぐにゃぐにゃ」に傍点]したメロディアスのものがなく、冷酷な理智的な頭脳によって、規律正しく組織的に分析された、概念のリズミカルな配列がある。そして独逸人が悦ぶのは、実にこの男性的な、がっしり[#「がっしり」に傍点]とした、真にクラシカルな哲学の美なのである。
 こうした独逸人の趣味にとって、ニイチェの狂号する哲学は、あまりにヒステリカルで、神経質の女らしいものに感じられる。彼等がそれを軽蔑《けいべつ》し、不快な冷笑を以て迎えたのは当然である。しかしながら吾人は、かかる独逸人の趣味の中に、何等「詩」の理解がないことを確信する。なぜなら詩とは、独逸人の愛する如き純のクラシズムの美ではなくして、むしろかかる権力感へ飛翔《ひしょう》すべく、身構えられた主観の躍動にあるからだ。人はしばしば言う。独逸人の詩は科学であると。けだし独逸人の好むものは、科学に於ける組織的、分析的、規律的、軍隊的であるところの、あのリズミカルでがっしり[#「がっしり」に傍点]した形式にかかっているのだ。しかしそれが果して「詩」であるだろうか。もしそうであるならば、科学の中のクラシズムたる数学こそ、実
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