は、かかるヒロイックな権力表現を求める詩人が、果して真に生れたる英雄であり、ビスマルク的鉄血心を持っているところの、真の独逸《ドイツ》軍人であるか否かと言うことである。
この疑問に対しては、吾人は明らかに「否!」と答える。古来幾千の詩人の中、果して真に英雄的だった人物がどこに居るか。彼等の或るものは、時に或は勇士の如く、英雄の如くにふるまっている。しかもこれ外見のドラマにすぎない。真実のところを言えば、あらゆる詩人は女性的で、神経質で、物に感じ易《やす》い、繊弱な心をもったセンチメンタリストにすぎないのだ。(でなければどうして詩が作れよう。)一つの決定的な事実を言えば、詩に於ける一切のヒロイズムは、畢竟《ひっきょう》して「逆説的のもの」にすぎないということである。換言すればあらゆる詩人は、英雄的なものへの憧憬《どうけい》から、オデッセイやイリアッドの勇ましい、権力感の高翔した詩を作るのである。そして彼が「憧憬する」ところのものは、実には彼自身に属していないもの、所有していないものである。
そもそも詩の本質感は何だろうか。詩は「現在《ザイン》しないもの」への欲情である。現にあるところ
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