って、この冷酷なる没人情の氷山では、どんな人間的なる血液も凍ってしまう。そこには理智と数学で固まっている、氷づけの結晶した「純美」があり、大理石によって刻まれた造型美術が、立体結晶《キュービカル》の冷酷さで屹立《きつりつ》している。
 実にクラシズムの芸術は、美を数学によって創造し、機械とコンパスと定規とから、人間模型を製造しようと意図するところの、真の残忍酷薄なる純美主義の芸術である。そこには少しも温熱感のある主観がなく、純一に客観的なる知性の形式美があるのみである。しかもかかるクラシズムが、何故に詩の表現と結婚するのか。実に吾人の不可思議に堪えないことは、クラシズムの如き芸術の北極圏に属するものが、反対に芸術の南極極地であり、主観の情熱を本位とする詩の如き文学と、何故に結婚すべく必然されるかと言うことである。そもそもこうした寒烈の気温の中で、我々のあまりに情熱的な――あまりに人間的温熱感のありすぎる――詩人の血が、どうして凍死せずに歌いつづけていられるのだろうか?
 だが再度考えてみよう。上述したような真の意味の形式主義《クラシズム》――それは数理的な形式美のみを重視して、内容的な
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