もの」との、不断に交流する二部曲である。然るに情緒的なものは――浪漫派でも象徴派でも――必然に自由主義の精神に立脚するし、権力感情的な貴族主義のものは――古典派でも高蹈派でも――凡《すべ》て必ず形式主義に傾向している故に、欧洲の詩に於ける主観派と客観派との対立は、それ自ら抒情詩《リリック》と叙事詩《エピック》の対立に外ならない。(故に近代に於ける新形式主義《ネオクラシズム》の諸詩派――未来派、立体派、構成派――等も、言語の本質上の意味に於て、凡て客観派の叙事詩《エピック》に属する。これ等の詩は実に近代的叙事詩《モダーンエピック》とも言うべきだろう。)以下|吾人《ごじん》は、この詩に於ける主観派と客観派、即ち抒情詩と叙事詩の関係を、その内容と形式との二面にわたって、根本から論じ尽そうと思っている。しかしその前に、西洋に於けるこの主観派と客観派の対立が、前章述べた日本の詩のそれと別であり、関係の違っている事を言わねばならぬ。
日本に於ける主観派と客観派の対立は、和歌と俳句の対立である。故にこの場合の関係では、和歌が抒情詩《リリック》に相当し、俳句が叙事詩《エピック》になるわけである。しか
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