いまいぼうばく》としたものを排斥して、ひとえに判然明白たる、理路整然たる詩を尊んだ。
 高蹈派の詩人たちは、その詩派の名目が示す如く、常に高蹈的な超俗の態度を取り、デモクラチックの思想を軽蔑して、時流の外に高く持すことを誇っていた。彼等は実に、近代の女性化主義《フェミニズム》の文化に於ける、正面からの反動主義者で、仮面を被《かぶ》らない正直な――或《あるい》は馬鹿な――真の正銘の貴族主義者の一族だった。何よりも彼等はジャーナリズムを、時流に属するものを憎悪した。そして遠く歴史の過去を慕い、思いを中世の懐古に馳《は》せた。特にその巨匠ルコント・ド・リール等は、現在的なる人間生活の本質を憎悪し、一切の宇宙を否定しようとするところの、ショーペンハウエル的|厭人《えんじん》感のニヒリズムから、毒々しい挑戦《ちょうせん》的の態度に於て、浪漫派の感傷的なる愛や人道主義やを、梅毒のように不潔視した。実に高蹈派《パルナシアン》の貴族等は、詩から一切の情緒を排斥し、人情を虐殺することに痛快したのだ。
 こうした高蹈派の態度は、正に詩に於ける自然主義の態度である。ただ一つ異なるところは自然主義が社会性を重
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