トを高調させる。しかもこの感激的高調にかかわらず、すべての出来るだけの無内容と、できるだけの愚劣な馬鹿馬鹿しさとで、民衆の甘ったるい理解力に訴えるべく、用意を十分に備えている。
 たれでも我々は、こういう芸術を軽蔑する。ところが民衆には、これがいちばん悦ばれるのだ。なぜなら民衆は、永遠に稚気芬々たる子供であって、真の高いもの、美しいものを理解できないから。しかも彼等は、常に渇《かわ》くように詩を求めている。どこにでも、ただ詩が――詩的な感激が――有りさえすれば好いのである。たとえば彼等は、丁度腹の空《す》いた子供に似ている。何でも好い。詩でありさえすれば食おうとする。しかもまだ不幸なことに、彼等の味覚は低劣であり、胃袋は駄菓子によって傷害されている。民衆は一のいじらしく、純良なる、しかしながら憐《あわ》れむべき貧民の子供である。
 それ故に吾人《ごじん》は、民衆に対して二つの別な感情――愛と軽蔑と――を、同時に矛盾して持たざるを得ないのである。彼等は「善き素質」を持ちながら、しかも「悪《あ》しき境遇」に育っている。一方から考えれば、彼等ほどにも詩を愛し、詩を尊敬している種属はなく、しか
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