求道者で、同時に異端的な哲学者であり、ヴェルハーレン、ホイットマンは、一種の社会的志士であった。そして鬼才詩人ランボーは、僅《わず》かに三年間ほど文壇に居り、少数の立派な詩を書いた後で、直に彗星《すいせい》のように消えてしまった。なぜなら彼は、阿弗利加《アフリカ》の沙漠《さばく》の中で、より詩的な生活を行為しようと思ったから。彼は言った。「詩なんか書く奴《やつ》はくだらない」「真の詩人は詩を作らない」と。丁度我が石川|啄木《たくぼく》が、自分で詩人であることを自嘲《じちょう》しつつ、生涯慰められないで詩を書いていた。
されば「詩人」と言う言葉は、それ自ら「生活者」と言う意味に外ならない。彼等の実に尋ねているのは、芸術でなくして生活であり、真に心の渇《かわ》きを充たすべき、イデヤの世界の実現である。あらゆるすべての詩人は、彼の歓楽の酒盃《しゅはい》の中に、もしくは理想的社会の実現される夢の中に、生活のクライマックスを賭《と》して死のうとしている。それ故《ゆえ》に彼等は革命家であり、志士であり、デカダンであり、ニヒリストであり、旅行家であり、哲学者であるのだ。人生とは! 人生とは詩人にと
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