宗教感や倫埋感がないから、したがって真のデカダンやダダイストも無いのである。デカダンやダダイストは、宗教感の線外にいる人物ではなく、同じ一つの線の上で、それと向き合っている反動家である。故に彼等について、その一端を叩《たた》けば他の反対が上ってくる。著者の知ってる限り、日本に真のデカダンは一人しかない。生活者の辻潤である。
** 日本の文学者は、詩的精神の喪失を以て老成の証左と考えている。これが西洋流の啓蒙観なら好いけれども――それだったら別の詩的精神が、他の一端で高調されている筈である。――日本のはそうでなく、根本的に詩そのもの、ヒューマニチイそのものを紛失させて、俗物的に納ったり、野狐禅《やこぜん》的に悟り顔をすることで、自ら得意としているのだからたまらない、畢竟《ひっきょう》彼等は、自然主義の精神を履《は》きちがえているのである。世に逆説の精神を知らずして、逆説を学ぶほど危険はない。この意味から日本の文壇は、自然主義によって堕落させられたと言い得るだろう。
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     第十三章 詩人と芸術家


 詩人は芸術家であるか? と言う質問は、ヴァイオリンは楽
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