。反対に日本の芸術家等は、昔から多く後者に属し、芸術至上主義的な名人意識で、観照の妙境に到達している。吾人はこの二つのものに於て、価値の批判を試み得ない。なぜならどっちも同等に偉いのだから――。ただしかし、だれにも明白に解ることは、そのどっちも真に持たない人間は、芸術家としてのヒューマニチイがないのであって、どんな批判の立場に於ても、軽蔑《けいべつ》にしか価しないと言うことである。
 ところが痛快なことには、日本の現在する文学者等は、そのどっちも真に持っていないのだ。もちろん或《あるい》は、多少の生ぬるい程度に於て、両方共に持っているかも知れない。だが真に強く掲げられたヒューマニチイは、殆《ほとん》ど少数の人にしか、実際見ることができないのだ。例えば、詩人的な作家として、僅《わず》かに島崎藤村、谷崎潤一郎、武者小路実篤《むしゃのこうじさねあつ》、佐藤春夫、室生犀星《むろうさいせい》位であり、そして真の芸術至上主義者として、自殺した芥川龍之介、志賀|直哉《なおや》等を数えるにすぎないだろう。概《おおむ》ね現代の文学者は、詩人でもなく美術家でもない、中途半端で雑駁《ざっぱく》なデモ文士にす
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