た抽象性のない国民が、一方に於て直感的|叡智《えいち》に発達すべきは当然である。そしてこの方では、実に驚くべき世界的の文化を創造している。即ち美術の如き観照本位の芸術が、今日世界的に優秀な所以《ゆえん》であるが、さらにその徹底したるものは、レアリズムの山頂を飛躍して、遂に象徴主義にまで到達している。この「象徴」の何物たるかは後に述べるが、世界に於て最も早く、かつ最も徹底的に象徴芸術を創造したものは、実に我が日本人あるのみだ。そしてこの象徴主義に徹したことから、不思議にも日本人は、詩的精神の最も遠い北極のレアリズムから、逆に西洋詩の到達する南極に逼《せま》ってきた。
 要するに日本人は、客観性の一方にのみ徹底して、主観性をほとんど欠いてるところの、世界に珍らしい国民である。日本人がいかに主観性を欠いているかは何よりもその言語が証明している。例えば我々の日常会話は、常に「賛成だ」とか「水が欲しい」とかいう。そして、「私」という主格が、いつも省略されているのである。故に日本に於て有り得る芸術は、いつも必らず客観主義の芸術、即ち美術や、写実主義の文学や、レアリズムの文学やに限られる。主観主義の
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