る。もしプラトンの立場で見れば、どんな観照に徹した写実主義の文学すら、その真理の深さに於て、感傷的なる恋愛詩の一篇にすら及ばないのだ。故に賢人パスカルはこれを言った。曰《いわ》く、*感情は理智の知らない真理[#「理智の知らない真理」に丸傍点]を知ってると。
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* パスカルの言葉は、長く人々に神秘視された。なぜなら「知る」ものはすべて知性であるのに、感情が理智の知らないものを知るというのは、眼なくして物を視《み》る不思議であるから。しかしパスカルの言う意味は、そうした無智の感情を指すのでなくして、智慧の認識と共に融け合ってる感情――即ち主観的態度の観照――を指しているのである。
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第九章 詩の本質
今や吾人《ごじん》は、始めて本書が標題する実の題目、詩とは何ぞや? の解説に這入《はい》ってきた。詩とは何だろうか。形式についてではなし、内容について言われる詩とは何だろうか? 吾人はこれに対する解答を、どこか前に他の章で暗示したようにも思われるし、また未だしなかったようにも考えられる。とにかく何《いず》れにせよ、この章に於て決定的な解答をしてしまおう。
そもそも詩とは何だろうか。広い意味に於て、自然や人生の到るところに観念されてる、一種不思議な「詩」という言葉は何だろうか。吾人はあえてそれを不思議と言う。なぜならこの言葉は、常に多くの人々によって使用され、到るところに思惟《しい》されているにかかわらず、一も判然とした定義がなく、どこか正体が不明であり、捉《とら》えどころのない靄《もや》の中で、曖昧《あいまい》漠然としているからである。吾人はこの不思議を解明して、詩の本質する定義を確立せねばならないのだ。
第一に解ってることは、この意味の詩が形式上の詩でなくして、詩という文芸が本質しているところの、普遍の本体上の精神、即ち「詩的精神」を指していることである。そこでこの問題を解決するため、あらゆる一般の場合について、人々が普通に考えている詩的精神、即ち所謂《いわゆる》「詩的」の何事たるかを調べてみよう。もし多数の場合について、それが観念されてる例証を見、すべてに共通する本質を取ってみれば、意外に造作なく、吾人は詩の定義に到達することができるであろう。但しこの場合に於ては、一方に詩的精神の反対のもの、即ち世人の言う「*散文的《プロゼック》のもの」について、おなじ思考を対照して行かねばならない。
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* 「詩」の対照は必ずしも「散文」でないかも知れない。なぜなら「散文」は「韻文」に対する言語であって、必ずしも詩における対語でないから。しかし一般の言語としては、やはり散文が詩の対語として用いられてる。それで散文的《プロゼック》という言語は、一般に非詩的のもの、詩的でないものを意味している。ここで使用するプロゼックも、勿論《もちろん》この通解の語意による。
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人々は一般に、何を詩的と考え、何をプロゼックと思惟するだろうか。もちろん後に言う如く、こうした感じは人によってちがうのである。だが思考を簡明にするために特に一般の場合について、大多数の人が一致している例証を取ってみよう。そして出来るだけ多数の例をあげてみよう。先《ま》ず自然について考えれば、一般に人々は、青い海や松原があるところの、風光|明媚《めいび》の景を詩だと言う。もしくは月光に照らされてる、蒼白《あおじろ》い夜の眺《なが》めを詩的だと言う。或《あるい》は霧や霞《かすみ》のかかってる、朦朧《もうろう》とした景色を詩的だと言う。そしてこの反対のもの、即ち平凡にして魅惑のない景色や、昼間の白日に照らされる街路や、明らさまに露出されてる眺めやは、すべて詩のないプロゼックのものだと言う。
同じような感じ方から、人々は或る都会を詩的と言い、他の都会をプロゼックだと言う。例えば定評は、奈良や京都を指して「詩の都」と言い、大阪や東京やをプロゼックだと言う。或は伊太利《イタリー》のヴェニスを詩的と言い、マンチェスタアや紐育《ニューヨーク》をプロゼックだと言う。また熱帯無人境の阿弗利加《アフリカ》内地や、原始的なる南洋タヒチの蛮島等は、単にそれを思うだけでも、吾人にとって詩的の興奮を感じさせる。そしてこの反対は、到るところに見慣れている、吾人の文明的社会である。
人物について言えば、秀吉やナポレオンやの生涯は詩的であるが、徳川家康の成功は散文的だ。同様にまた紀文《きぶん》大尽の成金は詩的であって、安田善兵衡の勤倹貯金はプロゼックだ。仏蘭西《フランス》革命の原動力たるルッソオは、純粋に詩人的の人物として感じられるが、革命の実行家たるロベスピエールは、より散文的の人物に感じられる。そ
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