実に吾人の痛感するあらゆる不運は、現代の混沌たる日本文明そのものに原因している。今日の我が国は、過去のあらゆる美が失われて、しかも新しい美が創造され得ない、絶望悲痛のどん底に沈んでいる。この不運に際して悲しむものは、独《ひと》り吾人の詩人のみでない。第一「新しき国語」の無いために、日本の小説そのものが堕落している。実にこれを明言しよう。近き文壇に於ける我が小説の低落は、彼等がその芸術的に訓練されない猥雑《わいざつ》の口語文を以てした為に、外国文学に見る如き高貴な詩人的の心を失い、江戸文学の続篇たる野卑俗調の戯作《げさく》に甘んじ、一歩もそれから出ることができなかったのだ。
故に今日の問題は、何よりも先《ま》ず「国語」の新しき創造である。国語にして救われなければ、詩も小説も有りはしない。この時、この場合、吾人は暫《しば》らく「韻文」「散文」の言語を止めよう。なぜなら詩の言語は、文化の最後に咲く花であり、混沌たる今日の時代のものに属しないから。今日の最大急務は、詩の言語を考えることでなくして、先ずその根柢《こんてい》たるべき日常語を改訂し、これを導いて芸術化し、以て第一に「散文学」そのものの本塁を、新しき文化の上に築くことだ。今日の詩人諸君が知るべきことは、実に我々の今の社会に、真の「散文」が生れていないと言う事である。故に詩人諸君の為《な》すべきことは、今日に於て詩を作るよりも、むしろ先ず散文を創造することにあるかも知れない。そしてこの最後の見解から、始めて現詩壇の自由詩を肯定し得る。なぜならば今日の自由詩は、それ自ら一種の「新しき散文」であるからだ。そして日本に於ける新時代は、正にこの散文の上に建設され、未来の希望ある進出に向うだろう。
然《しか》り! 詩の時代は未だ至らず。今日は正に散文前期の時代[#「散文前期の時代」に丸傍点]である。
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* 今日の奇怪なる詩人の中には、有機的音律のある真の自由詩を以て、過去の「古きもの」と考え、何等の音律美もない平坦無味の詩を以て、新様式の「新しきもの」と考え、かつそれを信じている人がある。現詩壇の低落は、一つには彼等の妄見《もうけん》と曲弁が与《あずか》っている。
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結論
島国日本か? 世界日本か?
1
東と西と。一つの越えがたい国境から、地球は永遠に対立している。何故《なにゆえ》に我々は、いつまでも此処《ここ》に留まり、国境を越えて行くことができないのか。太陽は照り、氷山は流れている。時は既に正午の線を過ぎたけれども、万象は死んで動かず、地上に一の新しい変化もない。永遠に、永遠に、東のものは東を向き、西のものは西を向いている。いかなれば世界の景色は、かくも単調にうら悲しく、よそよそ[#「よそよそ」に傍点]しげに見えるのだろう。
しかしながら我々は、既にこの単調から鬱屈《うっくつ》している。今や眠れるものの上に、新しき欲情は呼び起され、世界の変化は近づいている。実に吾人《ごじん》が求めるものは、詩に、文学に、芸術に、文明に、すべてに国境を越えて行こうとする、東からの若い精神である。しかもこの「東方の巡礼」は、既に幾度か出発し、西にあこがれて行き、そして国境のあたりをさまよい、空《むな》しくまた家に帰って来た。幾組も幾組も、同じ巡礼の一団が、後から後から出かけて行き、空しく皆道に迷って帰ってきた。かくて永久に、日本は昔ながらの日本であり、地上に一の新しき変化も起っていない。退屈なるかな! 何故にいつまでも、吾人はこの鎖国された島国から、一歩も出ることができないのか?
思うに過去の巡礼等――詩人や、文学者や、思想家や――は、その西方への道を誤っていた。彼等は狂った磁石をもち、方角を錯覚して、空しく西洋の幻像を追いながら、迷路の中に道を失って帰ってきたのだ。吾人の測量された地図によれば、日本から世界の公道に通ずる道は、ただ一つの直線されたものしかない。他はすべて迷路であって、無数の複雑した岐路の中に、人を惑わすものにすぎないのだ。吾人はこの書の結論として、最後にこの点を明らかにし、新日本の詩と文明とが求めるものを、本質に於て啓示しておかねばならない。
2
西洋文明の様式は、宗教(神話)や道徳に対するところの、科学や哲学の懐疑思想に出発し、かつこの主観精神と客観精神との、不断の対立から成立している。然るに懐疑するということは、既に有する信仰を失うことから、別の新しき信仰を求めようとするところの、人間性の止《や》みがたき熱望に動機するのである故《ゆえ》に、西洋文明に於ける客観的精神の本質は、本来「主観への逆説」であり、詩を否定しようとするところの、別の詩的精
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