発見することに外ならない。されば道徳と言い、宗教と言い、学術と言い、芸術と言い、一切にわたる人間文化の本質は、結局して意味の最も深いものを、その普遍的証価に於て発見し、人生に一の創造をあたえることにかかっている。
 では意味の最も深いものは何だろうか。主観的に考えれば、意味とは気分、情調である。人が酒に酔ってる時、世界は意味深く感じられる。恋をしている時、世界は色と影とに充ち、到るところに意味深く感じられる。そして道徳や正義感に燃え立ってる時、或《あるい》は宗教的な高い気分になってる時、すべて人生は意味深く、汲《く》めども尽きないものに感じられる。そこで主観に於けるこれ等の気分を、逆に呼び起してくるもの、即ち感情の高空線に音波を伝え、心の電気を誘導させてくれるものは、すべて、意味としての認識価値があるものである。然るにこれ等の気分感情は、すべて心を高翔《こうしょう》させ、浪《なみ》立たせ、何等か普遍に向ってのひろがり[#「ひろがり」に傍点]を感じさせるところのもの、即ち美学上の所謂《いわゆる》「美感」に属するもので、普通の私有財産的な無価値の感情、即ち美学上の所謂「実感」とちがうのである。実感には意味の感なく、私人的にしか価値がないのに、美感は普遍的のものであって、広く万人の胸に響をあたえ、かつ表現への強い衝動を感じさせる。一般に宗教感、倫理感、及び芸術的音楽感の本質が此処《ここ》に存することは言うまでもない。

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 この「実感」という語は、今日の文壇で「体験」とか「生活感」とかいう意味に転用されている。だがこれを当初に使ったのは自然主義で、美学上の原意に用いられていた。即ち当時に言われた「実感で書け」の意味は、美的陶酔のない感情、プロゼックな現実感で書けの意味だった。
 文壇に於ては、今日この言語が転化してしまったけれども、一般の社会に於て、尚《なお》しばしば原意のままで使用されてる。例えば裸体画問題等について、警察官が言う「実感を挑撥《ちょうはつ》する」等がそうである。
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 かく一方から考えると、意味の深さは感情の深さに比例し、より情線に振動をあたえるものほど、より意味の深いものである。然るにまた一方から、客観の立場に於て考える時、意味の深さは認識の深さに比例する。より深く真実にふれ、事物や現象の背後に於て、普遍的
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