ているから。
今度の著述は、従来雑誌に書いたような断片の雑論ではなく、始めから論理を立て、説明の組織をつくり、条理一貫せる体系によって書かれたところの、真の意味の論文である故に、いかなる読者にも明白に理解される。従来人々に誤解され、時に難解視された僕の詩論も、これによって始めて常識に入り易《やす》く、何人にも容易に理解されるであろう。したがって従来のあらゆる誤解――特に自由詩の詩形論に関している――は、この著によって悉《ことごと》く一掃されると信ずる。もし尚この著にして、世に難解視されるようだったら、僕はもはや再度何事をも言わないつもりだ。だが万一にも、そういうことだけは無いと思う。
とにかく僕の知る限り、従来僕の詩論に対して反対したり、挑戦的態度を見せたりした人の殆ど大部は、思想の根柢《こんてい》の立場に於て、悉く僕を誤解している。前にも既に言う通り、僕は敵を嫌《きら》うものではない。(敵の無いということが、常に却《かえ》って僕を寂しくさえしているのだ。)しかも誤解による無意味の敵は、その煩《わずら》わしさの故にも、馬鹿々々しく、避け得る限り避けたいのである。故に僕の望むところは、僕のすべての読者諸君、特に反対意見を持たれる諸君が、好奇心からでも、是非今度の書物を読んでもらいたいことである。それを一応読まれた上で、もし尚反対の意見があったら、その時こそ遠慮なく、正面から僕に挑戦して来てもらいたい。僕もまたその時こそ堂々と諸君を対手に弁論し、あくまで説の正邪を戦わしてみようと思う。僕は常に「真理」を愛し、議論の「勝敗」の如きを意に介しない。故に諸君の反駁にして僕に優《まさ》れば、いつにても自説を改め、より正理に適《かな》える諸君の門下に帰するであろう。
底本:「詩の原理」新潮文庫、新潮社
1954(昭和29)年10月30日発行
1972(昭和47)年3月10日20刷改版
1975(昭和50)年9月10日27刷
※複数行にかかる波括弧には、けい線素片をあてました。
入力:鈴木修一
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年2月19日作成
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