一切のリズミカルな音律に反感して、純粋にメロディアスな自由律の詩、即ち今日の所謂「自由詩」を生むに至ったのである。自由詩は実に資本主義の産物で、平民文化のデモクラシーを代表している。
しかしながら前言う通り、人間に於ける叙事詩《エピック》の精神と抒情詩《リリック》の精神とは、常に何等かの形に於て、永久に対立すべきものである。この点では、いかに近代の文明が女性化主義《フェミニズム》に潮流しても、人心の底にひそむ不易の本能を殺し得ない。彼等は何等かの形に於て、人の気附かない意想外の変装をし、手に爆弾をかくして「反動」の窓に覗《のぞ》いている。そして他の多くのものは、より[#「より」に傍点]露骨に正面から時代への逆流的形式を取るであろう。
これによって前言う如く、今日でも尚《なお》自由詩と定律詩とは、欧洲に於ける詩界を二分しているのである。即ち平民的な情操を有する詩人は、多く皆自由詩に行き、貴族的な権力感を有する詩人は、概して皆定律詩に拠っている。けだし貴族的な精神は、本質的にクラシズムで、骨骼のがっしり[#「がっしり」に傍点]した美を求めるからだ。彼等の趣味に取ってみれば、自由詩は軟体動物のようなもので、どこにもしっかり[#「しっかり」に傍点]した骨組みがなく、柔軟でぐにゃぐにゃ[#「ぐにゃぐにゃ」に傍点]しているところの、一の醜劣な蠕虫《ぜんちゅう》類にすぎないだろう。反対に一方の眼でみれば、定律詩は形式的で生気がなく、時代の流動感を欠いているように思われる。
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* 「権力感情」という言語を、始めて強いアクセントで語ったものは、実に独逸の貴族主義者ニイチェである。ついでながら言っておくが、虚無主義の本質は、「権力を否定する権力感情」で、言わば「貴族を殺そうとする貴族主義」である。逆にニヒリズムは近代の逆説された叙事詩思想《エピカルソート》で、著者の所謂「変装した陰謀者」「歪みたる憎々しきもの」の一つである。
独逸音楽と南欧音楽の特色は、エピカルとリリカルとの、最も典型的な好対照である。独逸音楽の特色は、すべてに於てリズミカルで、拍節が強くはっきり[#「はっきり」に傍点]とし、軍隊の重圧的な歩調のように、重苦しくどっしり[#「どっしり」に傍点]している。反対に仏蘭西や伊太利《イタリー》の音楽は、メロディアスの美しい旋律に充ち、柔軟自由にし
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