つた。すべて明暗の関係は対比による。昔の人がそんなにも月に心をひかれたのは、彼等の住んでゐる夜の地上が、甚だ閑寂として居たからである。暗く寂しい夜の曠野に、遠く輝やく灯を見る時ほど、悲しくなつかしい思ひをすることはない。行灯や蝋燭の微かな灯りが、唯一の照明であつた昔は、平安朝の京都や唐の長安の都でさへ、おそらく今人の想像ができないほど、寂しく真闇なものであつたらう。さうした暗い地上に、生魂《すだま》や物の化《け》と一所に住んでゐた彼等にとつて、月光がどんなに明るく、月がどれほど巨大に見えたかは想像できる。

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月天心貧しき町を通りけり
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 といふ蕪村の句で、月が非常に大きな満月の如く印象されるのは、周囲が貧しい裏町であり、深夜の雨戸を閉めた家から、微かな灯が僅かにもれるばかりの、暗く侘しい裏通と対比するからである。この句がもし「月天心都大路を通りけり」だつたら、月が非常に小さな物になり、句の印象から消滅してしまふ。実際に銀座通りを歩いてゐる人々は、空に月があることさへも忘れて居るのだ。ところが近代では、都会も田舎もおしなべて電光化し、事実
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