り、
ひとの手にはおもみを感じ
しづかに純金の亀ねむる、
この光る、
寂しき自然のいたみにたへ、
ひとの心霊《こころ》にまさぐりしづむ、
亀は蒼天のふかみにしづむ。
笛
あふげば高き松が枝に琴かけ鳴らす、
をゆびに紅をさしぐみて、
ふくめる琴をかきならす、
ああ かき鳴らすひとづま琴の音にもつれぶき、
いみじき笛は天にあり。
けふの霜夜の空に冴え冴え、
松の梢を光らして、
かなしむものの一念に、
懺悔の姿をあらはしぬ。
いみじき笛は天にあり。
冬
つみとがのしるし天にあらはれ、
ふりつむ雪のうへにあらはれ、
木木の梢にかがやきいで、
ま冬をこえて光るがに、
おかせる罪のしるしよもに現はれぬ。
みよや眠れる、
くらき土壌にいきものは、
懺悔の家をぞ建てそめし。
天上縊死
遠夜に光る松の葉に、
懺悔の涙したたりて、
遠夜の空にしも白ろき、
天上の松に首をかけ。
天上の松を恋ふるより、
祈れるさまに吊されぬ。
卵
いと高き梢にありて、
ちいさなる卵ら光り、
あふげば小鳥の巣は光り、
いまはや罪びとの祈るときなる。
雲雀料理[#「雲雀料理」は太字]
五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀のふおうく[#「ふおうく」に傍点]を動かしたい。私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで喰べたい。
感傷の手
わが性のせんちめんたる、
あまたある手をかなしむ、
手はつねに頭上にをどり、
また胸にひかりさびしみしが、
しだいに夏おとろへ、
かへれば燕はや巣を立ち、
おほ麦はつめたくひやさる。
ああ、都をわすれ、
われすでに胡弓を弾かず、
手ははがねとなり、
いんさんとして土地《つち》を掘る。
いぢらしき感傷の手は土地を掘る。
山居
八月は祈祷、
魚鳥遠くに消え去り、
桔梗いろおとろへ、
しだいにおとろへ、
わが心いたくおとろへ、
悲しみ樹蔭をいでず、
手に聖書は銀となる。
苗
苗は青空に光り、
子供は土地《つち》を掘る。
生えざる苗をもとめむとして、
あかるき鉢の底より、
われは白き指をさしぬけり。
殺人事件
とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍体のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。
しもつき上旬《はじめ》のある朝、
探偵は玻璃の衣裳をきて、
街の十字巷路《よつつじ》を曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。
みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者《くせもの》はいつさんにすべつてゆく。
盆景
春夏すぎて手は琥珀、
瞳《め》は水盤にぬれ、
石はらんすゐ、
いちいちに愁ひをくんず、
みよ山水のふかまに、
ほそき滝ながれ、
滝ながれ、
ひややかに魚介はしづむ。
雲雀料理
ささげまつるゆふべの愛餐、
燭に魚蝋のうれひを薫じ、
いとしがりみどりの窓をひらきなむ。
あはれあれみ空をみれば、
さつきはるばると流るるものを、
手にわれ雲雀の皿をささげ、
いとしがり君がひだりにすすみなむ。
掌上の種
われは手のうへに土《つち》を盛り、
土《つち》のうへに種をまく、
いま白きじようろ[#「じようろ」に傍点]もて土に水をそそぎしに、
水はせんせんとふりそそぎ、
土《つち》のつめたさはたなごころの上にぞしむ。
ああ、とほく五月の窓をおしひらきて、
われは手を日光のほとりにさしのべしが、
さわやかなる風景の中にしあれば、
皮膚はかぐはしくぬくもりきたり、
手のうへの種はいとほしげにも呼吸《いき》づけり。
天景
しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車。
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。
焦心
霜ふりてすこしつめたき朝を、
手に雲雀料理をささげつつ歩みゆく少女《をとめ》あり、
そのとき並木にもたれ、
白粉もてぬられたる女のほそき指と指との隙間《すきま》をよくよく窺ひ、
このうまき雲雀料理をば盗み喰べんと欲して、
しきりにも焦心し、
あるひと[#「あるひと」に傍点]のごときはあまりに焦心し、まつたく合掌せるにおよべり。
悲しい月夜[#「悲しい月夜」は太字]
かなしい遠景
かなしい薄暮になれば、
労働者にて東京市中が満員なり、
それらの憔悴した帽子のかげ[#「かげ」に傍点]が、
市街《まち》中いちめんにひろがり、
あつちの市区でも、こつちの市区でも、
堅い地面を掘つくりかへす、
掘り出して見るならば、
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。
重さ五匁ほどもある、
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ。
それも本所深川あたりの遠方からはじめ、
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで、
しなびきつた心臓がしやべる[#「しやべる」に傍点]を光らしてゐる。
悲しい月夜
ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる。
波止場のくらい石垣で。
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。
死
みつめる土地《つち》の底から、
奇妙きてれつの手がでる、
足がでる、
くびがでしやばる、
諸君、
こいつはいつたい、
なんといふ鵞鳥だい。
みつめる土地《つち》の底から、
馬鹿づらをして、
手がでる、
足がでる、
くびがでしやばる。
危険な散歩
春になつて、
おれは新らしい靴のうらにごむ[#「ごむ」に傍点]をつけた、
どんな粗製の歩道をあるいても、
あのいやらしい音がしないやうに、
それにおれはどつさり壊れものをかかへこんでる、
それがなによりけんのんだ。
さあ、そろそろ歩きはじめた、
みんなそつとしてくれ、
そつとしてくれ、
おれは心配で心配でたまらない、
たとへどんなことがあつても、
おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。
おれはぜつたいぜつめいだ、
おれは病気の風船のりみたいに、
いつも憔悴した方角で、
ふらふらふらふらあるいてゐるのだ。
酒精中毒者の死
あふむきに死んでゐる酒精中毒者《よつぱらひ》の、
まつしろい腹のへんから、
えたいのわからぬものが流れてゐる、
透明な青い血漿と、
ゆがんだ多角形の心臓と、
腐つたはらわたと、
らうまちす[#「らうまちす」に傍点]の爛れた手くびと、
ぐにやぐにやした臓物と、
そこらいちめん、
地べたはぴかぴか光つてゐる、
草はするどくとがつてゐる、
すべてがらぢうむ[#「らぢうむ」に傍点]のやうに光つてゐる。
こんなさびしい風景の中にうきあがつて、
白つぽけた殺人者の顔が、
草のやうにびらびら笑つてゐる。
干からびた犯罪
どこから犯人は逃走した?
ああ、いく年もいく年もまへから、
ここに倒れた椅子がある、
ここに兇器がある、
ここに屍体がある、
ここに血がある、
さうして青ざめた五月の高窓にも、
おもひにしづんだ探偵のくらい顔と、
さびしい女の髪の毛とがふるへて居る。
蛙の死
蛙が殺された、
子供がまるくなつて手をあげた、
みんないつしよに、
かわゆらしい、
血だらけの手をあげた、
月が出た、
丘の上に人が立つてゐる。
帽子の下に顔がある。
[#地付き]幼年思慕篇
くさつた蛤[#「くさつた蛤」は太字]
なやましき春夜の感覚とその疾患
内部に居る人が畸形な病人に見える理由
わたしは窓かけのれいす[#「れいす」に傍点]のかげに立つて居ります、
それがわたくしの顔をうすぼんやりと見せる理由です。
わたしは手に遠めがねをもつて居ります、
それでわたくしは、ずつと遠いところを見て居ります、
につける製の犬だの羊だの、
あたまのはげた子供たちの歩いてゐる林をみて居ります、
それらがわたくしの瞳《め》を、いくらか[#「いくらか」に傍点]かすんでみせる理由です。
わたくしはけさきやべつ[#「きやべつ」に傍点]の皿を喰べすぎました、
そのうへこの窓硝子は非常に粗製です、
それがわたくしの顔をこんなに甚だしく歪んで見せる理由です。
じつさいのところを言へば、
わたくしは健康すぎるぐらゐなものです、
それだのに、なんだつて君は、そこで私をみつめてゐる。
なんだつてそんなに薄気味わるく笑つてゐる。
おお[#「おお」に傍点]、もちろん、わたくしの腰から下ならば、
そのへんがはつきり[#「はつきり」に傍点]しないといふのならば、
いくらか馬鹿げた疑問であるが、
もちろん、つまり、この青白い窓の壁にそうて、
家の内部に立つてゐるわけです。
椅子
椅子の下にねむれるひとは、
おほいなる家《いへ》をつくれるひとの子供らか。
春夜
浅蜊のやうなもの、
蛤のやうなもの、
みぢんこのやうなもの、
それら生物の身体は砂にうもれ、
どこからともなく、
絹いとのやうな手が無数に生え、
手のほそい毛が浪のまにまにうごいてゐる。
あはれこの生あたたかい春の夜に、
そよそよと潮みづながれ、
生物の上にみづながれ、
貝るゐの舌も、ちらちらとしてもえ哀しげなるに、
とほく渚の方を見わたせば、
ぬれた渚路には、
腰から下のない病人の列があるいてゐる、
ふらりふらりと歩いてゐる。
ああ、それら人間の髪の毛にも、
春の夜のかすみいちめんにふかくかけ、
よせくる、よせくる、
このしろき浪の列はさざなみです。
ばくてりやの世界
ばくてりやの足、
ばくてりやの口、
ばくてりやの耳、
ばくてりやの鼻、
ばくてりやがおよいでゐる。
あるものは人物の胎内に、
あるものは貝るゐの内臓に、
あるものは玉葱の球心に、
あるものは風景の中心に。
ばくてりやがおよいでゐる。
ばくてりやの手は左右十文字に生え、
手のつまさきが根のやうにわかれ、
そこからするどい爪が生え、
毛細血管の類はべたいちめん[#「べたいちめん」に傍点]にひろがつてゐる。
ばくてりやがおよいでゐる。
ばくてりやが生活するところには、
病人の皮膚をすかすやうに、
べにいろの光線がうすくさしこんで、
その部分だけほんのりとしてみえ、
じつに、じつに、かなしみたへがたく見える。
ばくてりやがおよいでゐる。
およぐひと
およぐひとのからだはななめにのびる、
二本の手はながくそろへてひきのばされる、
およぐひとの心臓《こころ》はくらげのやうにすきとほる、
およぐひとの瞳《め》はつりがねのひびきをききつつ、
およぐひとのたましひは水《みづ》のうへの月《つき》をみる。
ありあけ
ながい疾患のいたみから、
その顔はくもの巣だらけとなり、
腰からしたは影のやうに消えてしまひ、
腰からうへには藪が生え、
手が腐れ
身体《からだ》いちめんがじつにめちやくちやなり、
ああ、けふも月が出で、
有明の月が空に出で、
そのぼんぼりのやうなうすらあかりで、
畸形の白犬が吠えてゐる。
しののめちかく、
さみしい道路の方で吠える犬だよ。
猫
まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづき[#「みかづき」に傍点]がかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』
貝
つめたきもの生れ、
その歯はみづにながれ、
その手はみづにながれ、
潮さし行方もしらにながるるものを、
浅瀬をふみてわが呼ばへば、
貝は遠音《とほね》にこたふ。
麦畑の一隅にて
まつ正直の心をもつて、
わたくしどもは話がしたい、
信仰からきたるものは、
すべて幽霊のかたちで視える、
かつてわたくしが視たところのものを、
はつきりと汝にもきかせたい、
およそこの類のものは、
さかんに装束せる、
光れる
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