ふ質問に対して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういふ工合にうれしい』といふ問に対しては何|人《ぴと》もたやすくその心理を説明することは出来ない。
 思ふに人間の感情といふものは、極めて単純であつて、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであつて、同時に極めて個性的な特異なものである。
 どんな場合にも、人が自己の感情を完全[#「完全」に傍点]に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである。

 私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる。
 あの病気にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ。コップに盛つた一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふやうなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。
『どういふわけで水が恐ろしい?』『どういふ工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我々にとつては只々不可思議千万のものといふの外はない。けれどもあの患者にとつてはそれが何よりも真実な事実なのである。そして此の場合に若しその患者自身が……何等かの必要に迫られて……この苦しい実感を
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