やうな寂しい遣瀬ない声、その声が今夜も向うの竹林を透してきこえる。降り注ぐものは新鮮な竹の葉に雪のごとく結晶し、君を思へば蒼白い月天がいつもその上にかかる。

 萩原君。
 何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。君は私より二つ年下で、室生君は君より又二つ年下である。私は私より少しでも年若く、私より更に新らしく生れて来た二つの相似た霊魂の為めに祝福し、更に甚深な肉親の交歓に酔ふ。
 又更に君と室生君との芸術上の熱愛を思ふと涙が流れる。君の歓びは室生君の歓びである。さうして又私の歓びである。
 この機会を利用して、私は更に君に讃嘆の辞を贈る。

  大正六年一月十日
[#ここから地付き]
葛飾の紫烟草舎にて
北原白秋
[#ここで地付き終わり]




 詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝演繹することのためでもない。詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。

 詩とは感情の神経[#「感情の神経」に傍点]
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