かつた。即ち私等のした最初の行動は、徹頭徹尾「時流への叛逆」であつた。当時自然主義の文壇に於て最もひどく軽蔑された言葉は、実に「感情」といふ言葉の響であつた。それ故私等は故意にその「呪はれたる言葉」をとつて詩社の標語とした。それは明白なる時流への叛逆であり、併せて詩の新興を絶叫する最初の狼火《のろし》であつたのだ。況んやまた詩の情想に於ても、表現に於ても、言葉に於ても、まるで私等のスタイルは当時の時流とちがつてゐた。むしろ私等は流行の裏を突破した[#「流行の裏を突破した」に傍点]。そのため私等の創作は詩壇の正流から異端視され、衆俗からは様々の嘲笑と悪罵とを蒙つたほどである。
然るに幾程もなく時代の潮流は変向した。さしも暴威を振つた自然主義の美学は、新しい浪漫主義の美学によつて論駁されてしまつた。今や廃れたる一切の情緒が出水のやうに溢れてきた。二度《ふたたび》我が叙情詩の時代が来た。一旦民衆によつて閑却された詩は、更にまた彼等の生活にまで帰つて来た。しかも之より先、我等の雑誌『感情』は詩壇の標準時計となつて居た。主義に於ても、内容に於ても、殆んど全然『感情』を標準にしたところのパンフレ
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