居た。)私の許へは幾通となく未知の人々から手紙が来た。どうにしても再版を出してくれといふ督促の書簡である。
すべてそれらの人々の熱心な要求に対し、私はいつも心苦しい思ひをしなければならなかつた。やがて私は自分のつまらぬ物好きを後悔するやうになつた。そんなにも多数の人々によつて示された自分への切実の愛を裏切りたくなくなつた。自分は再版の意を決した。しかも私の骨に徹する怠惰癖と物臭さ根性とは、書肆との交渉を甚だ煩はしいものに考へてしまつた。そしておよそ此等の理由からして、今日まで長い間この詩集が絶版となつて居たのである。
顧みれば詩壇は急調の変化をした。この詩集の初版が初めて世に出た時の詩壇と今日の詩壇とは、何といふ著しい相違であらう。始め私は、友人室生犀星と結んで人魚詩社を起し次に感情詩社を設立した。その頃の私等を考へると我ながら情ない次第である。当時の文壇に於て「詩」は文芸の仲間に入れられなかつた。稿料を払つて詩を掲載するような雑誌はどこにもなかつた。勿論この事実は、詩といふものが極めて特殊なものであつて、一般的の読者を殆んど持たなかつたことに基因する。我々の詩が、なぜそんなに民衆
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