に書かれた人間の一生は、どんなインキ消を使用しても、斷じて消すことも變へることも出來ないのである。
 さてそれならば、易者がどうして人の運命を自由に變化し、未來の幸福を指示することができようか。易者に聞いても聞かないでも、豫定された未來の不幸は、必ず避けがたくやつて來る。さうして若しさうだとすれば、人は未來の運命から眼を閉ぢ、故意に知るまいとして努めるだらう。どんな物好きの死刑囚も、自分の刑の執行日をわざわざ看守に尋ねはしない。すべての人々は、未來を豫知できない故に生きながらへてる。だれがわざわざ、自殺するために易者の店を訪ふだらうか。逆に却つて人々は、星占學の辻占から、未來の漠然たる幸福――幸福があるだらうといふ運命の豫約――を期待して居る。そしてまた(皮肉なことには)いやしくも易者を訪ふほどのすべての人は、過去にも現在にも不運であり、それ故にまた將來の幸運さへも、概して豫想できないところの人々である。
 すべての易者と星占家(家相家や、人相見や、八卦師や)は、かうした彼等の所謂亡者どもを濟度するため、矛盾にも此處で前説を豹變し、逆に今度は、意志の自由が運命を支配すること、自覺と心が
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