詩人としての本領の外に、純粋の詩人としての抒情詩を書いて居る。しかし抒情詩人としてのニイチェには、僕としてあまり崇敬できない点がある。ゲーテも言ふ如く、詩人に哲学する精神は必要だが、詩に哲学を語ることは望ましくない。特に抒情詩に哲学は禁物である。ニイチェの場合にあつては、この禁物が多すぎる為、詩がまるで理窟っぽい[#「理窟っぽい」はママ]警句のやうなものになつてしまつて居る。理智で考へながら読むやうな文学は、純正の意味で「詩」とは言へないのである。しかし流石にその二三の作品だけは、ニイチェでなければ書けない珠玉の絶唱で、世界文学史上にも特記さるべき名詩である。特に「今は秋、その秋の汝の胸を破るかな!」の悲壮な声調で始まつてる「秋」の詩。及び
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鴉等は鳴き叫び
風を切りて町へ飛び行く
まもなく雪も降り来らむ――
今尚、家郷あるものは幸福《さいはひ》なるかな。
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の初聯で始まる「寂寥」の如き詩は、その情感の深く悲痛なることに於て、他に全く類を見ないニイチェ独特の名篇である。これら僅か数篇の名詩だけでも、ニイチェは抒情詩人として一流の列に入
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