正直な足跡を免かれない。一切の原因が明白になってしまうだろう。
この計案を完全に実行し、充分の成功を確めたところで、彼女はいつもの外套を着、いくらか落付いた気分で出かけて行った。が、だが事務室の柱時計が四時に近くなった時には、またいつもの不安な予感が、いつものように襲って来た。どうしても部屋の中に、だれかが坐っているような感じがする。その感じはハッキリしており、眼の前を飛ぶ小虫のように、執拗《しつよう》に追いのけられないものであった。そしてなお不吉なことには、いつも必ず適中するのであった。果してその留守の部屋の中には、今日もまた黒猫が坐り込んでた。気味の悪い静かな瞳で、じっと夫人の方をみつめながら。しかもその部屋の中には、夫人のすべての期待に反して、どこに一つ小さな足跡すら付いてなかった。今日の朝に敷かれたチョークの粉は、閉じ込められた室《へや》の重たい空気で、黴《かび》のように積っていた。その粉の一粒すらが、少しも位地を換えてなかった。明白に部屋の中へは、何物も這入って来なかったのである。
すべてのあり得べき奇異の事情と、その臆測《おくそく》される推理の後で、夫人はすっかり混惑《
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