機に與《あづか》る人。其人の家《うち》に居《を》れば自然|海内《かいだい》の形勢も分かるであらう。私《わたくし》が京都を去つて大阪に來たのも一つは其の當時の形勢入求の趣意であるから、渡りに舟と喜んで、木城氏の所へ行つた。無論其時分は文學者にならう抔《など》といふ料見はない。(尤《もつと》も今も文學者のつもりでもないが。)むしろさういふ御目附、即ち當時の樞機に參する役人にならうと思つて居た。然しその時分の役人になるといふのは、今のそれとは心持に於いて違つて居る。其時分の我々は何處《どこ》迄も將軍家の譜代の家來だから、其の役人になるも、金を貰つて身を賣るではなく、主君なる將軍家に我が得た所を以て奉公をする。謂《いは》ゆる公儀の御役《おやく》に立たうといふ極《ごく》單純な考へであつた。然して此心は大抵な人が皆同じであつたらうと思つて居る。
 兎角するうちに、木城氏は關《くわん》八|州《しう》の荒地《くわうち》開墾御用係といふものを命ぜられた。そして御勘定奉行《ごかんぢやうぶぎやう》の小栗下總守《をぐりしもふさのかみ》といふ人と一緒に、大阪から江戸に下つて來た。私《わし》もその一行の中《うち》
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