らみのるは再び清月へ通ひ出した。
演劇の上でみのるの評判は惡るくはなかつた。誰もこの新らしい技藝を賞めた。けれども又、同時に誰が見てもみのるの容貌《きりやう》は舞臺の人となるだけの資格がないと云ふことも明らかに思はせた。
藝術本位の劇評はみのるの技藝を、初めて女優の生命を開拓したものとまで賞めたものもあつた。けれども單に芝居といふ方から標準を取つて行つた劇評は、みのるを惡るく云つた。その態度が下品で矢塲女のやうだと誹つたものもあつた。みのるの容貌はほんとうに醜いものであつた。無理に拾へば眼だけであつた。外の點では唯|普通《なみ》の女としても見られないやうな容貌であつた。
みのるは自分の容貌の醜いのをよく知つてゐた。それにも由らず舞臺へ上り度いといふのは唯藝術に對する熱のほかにはなかつた。そこから火のやうに燃えてくる力がみのるを大膽に導いて行くばかりであつた。けれども女優は――舞臺に立つ女はある程度まで美しくなければならなかつた。
女は、そこに金剛のやうな藝術の力はあつても、花のやうな容貌がなければ魅力の均衡《つりあひ》は保たれる筈がなかつた。みのるの舞臺は、ある一面からは泥土《どろ》を投げ付けられる樣な誹笑《そしり》を受けたのであつた。
みのるはそこにも失望の淵が横つてゐるのを、はつきりと見出した。みのるはある日演劇が濟んでから、雨の降り止んだ池の端を雨傘を提げて歩るいて來た。今夜も棧敷《ざしき》からみのるの舞臺を見てゐた義男が一所であつた。
みのるは此時程義男に對して氣の毒な感じを持つた事はなかつた。義男は此演劇が初まつてから毎晩芝居へ通つて來た。然うしてその小さな眼のうちは、他《はた》の批評を一句も聞き漏らすまいといつもおど/\と慄《ふる》へてゐた。義男の友達も多勢見に來た。これ等の人の前で舞臺の美しくない女を見ながら平氣な顏をしてゐなければならないと云ふのは、この男にしては非常な苦痛であつた。技藝は拙くとも舞臺の上で人々を驚かせるほどの美を持つた女を有してゐる事の方が、この男の理想であつた。義男はその爲に毎日出て行くある群れの塲所にゐても絶へず苦笑を浮べてゐなければならない樣な、苦《にが》い刺戟に出《で》つ會《くわ》すのであつた。
義男も疲れてゐた。二人の神經はある悲しみの際に臨みながら、その悲しみを嘲笑の空《くう》の中にお互に突つ放さうとする樣な昂奮を持つてゐた。
「今夜はどんなだつたかしら、少しはうまく行つて。」
「今夜は非常によかつた。」
二人はかう一と言づゝを言ひ合つたきりで歩いて行つた。毎夜舞臺の上で一滴の生命の血を絞り/\してる樣な技藝に對する執着の疲れが、かうして歩いて行くみのるを渦卷くやうに遠い悲しい境へ引き寄せていつた。その美しい憧憬《あこがれ》の惱みを通して、誹笑の聲が錐のやうにみのるの燃る感情を突き刺してゐた。池の端の灯を眺めながら行くみのるの眼はいつの間にか涙|含《ぐ》んでゐた。
「全く君は演劇の方では技量を持てゐるね。僕も今度はほんとうに感心した。けれども顏の惡るいと云ふのは何割もの損だね。君は容貌の爲めに大變な損をするよ。」
義男はしみ/″\と斯う云つた。義男は自分の女房を前において、その顏を批判するやうな機會に出逢つた事がいやであつた。同時に、みのるがそのすべてを公衆に曝すやうな機會を作り出した事に不滿があつた。
「よせばいゝのに。」
義男は斯う云ふ言葉を繰り返さずにはゐられなかつた。
十二
僅な日數で芝居は濟んでしまつた。みのるが鏡臺を車に乘せて家へ歸つた最後の晩は雨が降つてゐた。一座した俳優たちが又長く別れやうとする終りの夜には、誰も彼も淡い悲しみをその心の上に浮べてゐた。男の俳優は樂屋で使つたいろ/\の道具を風呂敷に包んだり、鞄に入れたりして、それを片手に下げながら帽の庇に片手をかけて挨拶し合つてゐた。この劇團が解散すれば、又何所へ稼ぎに行くか分らないと云ふ放浪の悲しみがそのてん/″\の蒼白い頬に漂つてゐた。しつかりした基礎《もとゐ》のないこの新しい劇團は、最《も》うこれで凡が滅びてしまふ運命を持つてゐた。何か機運に乘じるつもりで、斯うして集まつた俳優たちは、又この手から放れて然うして矢つ張り明日からの生活の糧をそれ/″\に考へなければならなかつた。みのるは車の上からかうして別れて行つてしまつた俳優たちの後を見送つた。
芝居の間みのるが一番親しんだ女優は早子であつた。新派の下つ端の女形をしてゐると云ふ可愛らしい早子の亭主が、みのると合部屋の早子のところへ能く來てゐた。早子には病氣があつた。昨晩血を吐いたと云ふ樣な翌《あく》る日は、傍から見てゐてもその身體がほそ/″\と消えていつて了うかと思ふ樣な、力のないぐつたりした樣子をしてゐた。毎日喧嘩ば
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