いたやうにみのるの手から包みを取らうとした。
「持つてつてやるよ。」
雨の停車塲は遲れた電車を待合せる人が多かつた。つい今しがた降り出した雨だけれども、土も木も人の着物も一樣に濕々《じめ/″\》した濡れた匂ひを含んで、冷めたい空氣の底にひそかに響きを打つてゐた。みのるは包みを外套の下に抱へてゐる義男を遠くに放して、その傍に寄らずにゐた。電車に乘つてからも二人は落魄した境涯にあるやうな自分々々を絶えず心の中で眺め合ひながら、多くの他人の眼の集つた灯の明るい電車の中で、この夫婦といふ縁のある顏と顏を殊更合はせる事を避けてゐた。みのるは時々義男の外套の下から風呂敷包みの頭が食み出てゐるのを見た。前の狹い外套の裾は膝の前で窮屈そうに割てゐた。みのるは顏を背向けると、その見窄らしい義男の姿を心に描いて電車の外の雨に濡れてゐる灯を見詰めてゐた。
自分を憫れんでゐるやうな睫毛の瞬きが、ふるえて落ちる傘の雫の蔭にちら/\しながら、みのるは仲町のある横丁から出て來た。角の商店の明りの前に洋傘を眞つ直ぐにして立つて待つてゐた義男の傍に來た時、みのるの顏は何所となく囁き笑ひをしてゐた。
「うまくいつた?」
「大丈夫よ。」
嵩張つた包みが二人の間から取れて、輕い紙幣が女のコートの衣兜《かくし》に殘つたといふ事が、二人を浮世の人間並みらしい感じに戻らせた。つい眼の前をのろ/\と横切つて行く雫を垂らした馬鹿氣て大きな電車を遣り過ごす間《うち》、今まで何所かへ押やられてゐた二人の間の親しみの義務を、この間《ま》にお互の中に取り戻しておかなくてはならないといふ樣な顏付きで、みのるは男の顏を見詰めてわざと笑つた。
「なんでもいゝや。」
義男も腮《あご》の先きを片手で擦《こす》りながら笑つて云つた。けれども義男の眼にはみのるの笑顏が底を含んでるやうな鋭い影を走らしてゐたと思つていやな氣がしたのであつた。
「寒くつて。何か飮まなくちや堪らないわ。」
みのるは義男の先きになつて歩いた。向側を見ると何の店先も雨に曇つて灯が濡れしほたれてゐた。番傘が通りの灯影を遮つてゆく――泥濘《ぬかるみ》の路に人の下駄の跡や車の轍の跡をぼち/\と光りを帶たはね[#「はね」に傍点]が飛んでゐた。
二人は區役所の前の小さい洋食屋へ入つて行つた。
室には一人も客はなかつた。鏡の前に行つて顏を映して見たみのるは、義
前へ
次へ
全42ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田村 俊子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング